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牡丹が咲いた

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 

 新型コロナウイルスによる脅威は、変異ウイルスなどにより、波状攻撃のように感染者数を増加させているが、人類の活動がさまざまな面で制限されることで、地球の動植物や自然環境に対しては、顕著に良い結果が生まれていると、海外の研究者が発表した。対パンデミックによる規制が始まってまだ二年だが、事態の収拾が遅れるほど、地球環境には良い結果をもたらすのだろう。人間にとって良いことと、地球環境にとってプラスになることが異なるのは言うまでもない。地球環境を人間の知恵と努力で制御するよりも、パンデミックによって強制的に人間の活動を制限するほうがプラスになるというのも、皮肉な話である。

 「今年はもう咲いてしまいました」。5月の連休の頃に花を開くはずの牡丹が4月の半ばに咲いてしまったと、知人から牡丹の写真が送られてきた。温暖化については今さらの話だが、遠からず、冷たい大気のなか、沈丁花の香りが告げる早春という季節が消えて、桃の節句の頃に、梅と桜が時を同じくして一気に咲き乱れる春の到来となる日も近いようだ。今年、桜の開花は本当に早かった。3月の末には、陽当たりの良い場所にある桜は、あっという間に葉桜となっていた。

 3月の下旬から4月にかけては、卒業式、入学式から、定年退職、入社式に至るまで、生きていく過程の節目となる行事の季節である。その行事の背景には、いつも桜がある。つぼみが膨らみ、花が開き、桜吹雪が散って、葉桜になる。ひと区切りとなる時期の記憶には、いつも背景に桜の景色が重なっている。季節の移ろい方が、まったく変わってしまうとなると、記憶の色も、すべて変わってしまうような気がする。

 私は親の手を焼かせることがなかったらしいのだが、幼稚園に通うことは拒否、なんとか連れていくと、すぐに一人で家に戻って来てしまう。それは危ないということになり、幼稚園は免除となったのだが、小学校はそうもいかない。初めての集団生活となった小学校、少しばかり不安だった入学式の後、花冷えのする雨上がりの校庭の隅に、ひとりでたたずんでいた記憶がある。土の校庭の片隅、小さな水溜りに浮かんだ桜の花びらの記憶が、今でも鮮明に残っている。

 卒業式や入学式は、中学、高校、大学と、同じような行事があったはずだが、辛うじて、そんな行事に出席した記憶があるのは、中学の入学式と卒業式、高校の入学式までである。高校の途中から軌道を外れてしまい、そうした行事にはいっさい出席していない。まったく記憶がないのは当たり前である。社会人になったのも、卒業後、間があって、新聞広告を見て応募し、採用されたのが10月だった。入社式などあるはずもない。10月の半ばから通勤を始めたのだが、通い始めた翌日、上司となった課長さんに酒をご馳走になったような記憶があるだけだ。一度、軌道を外れてしまうと、自分の道を見つけるのは大変である。

 4月1日のIIJの入社式で、例年と同じように紺のスーツと白いシャツに身を固め、神妙な表情で座っている新入社員を眺めていると、私までも背筋が伸びるような気分になった。軌道を外れていた私は、いつもならこの行事が苦手だったのだが、今年は若者の緊張した表情が新鮮だった。歳をとると変わるものである。


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