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ささやかな忠告

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 

 年齢を重ねると、記憶を辿ることで、辛うじて時の長さを感じるようになる。今年も桜が散って、ひとつの季節が過ぎ去ったのだが、桜景色に魅入っていると、今、眺めている桜が、去年のものだったのか、ずっと昔の桜の光景なのか、わからなくなってしまう。桜を見ている自分はあるのだが、それがいつの桜なのか、わからなくなってくる。年齢のせいなのか、桜の魔力なのかわからない。時間の概念が消えてしまうのである。

 桜のひらく時期には入社式があるのだが、入社式の挨拶をしている時も、それが今年のことなのか、去年のことなのか、疑わしくなる。桜と違って、さすがに入社式では、時の感覚を失うにしても、わずかな時間なのだが、桜がひらく景色は、時の感覚という意味ではますます怪しくなるばかりである。

 桜の蕾が膨らみかける頃から、桜が散って、葉桜になるまでの季節、私は眠る時間がなくなるほど忙しい日々が続く。仕事は年度末から年度初め、忙しいのは当然なのだが、道楽と揶揄されている「東京・春・音楽祭」を開催する時期だからである。夜の演奏会のあと、遅くから始まる演奏者との食事を終えて、帰宅すると深夜になる。そこで、ようやくベッドにもぐり込むのだが、夜明け前に起き出す習慣は変えない。眠る時間は、二、三時間になる。いい年をしてと、忠告を受けるのだが、一度、眠りの誘惑に負けて、夜明け前に目覚めて机に向かう習慣を変えてしまうと、二度と夜明け前の貴重な時間が持てなくなるのではないかと恐れ、睡眠不足のまま、ひと月ほど過ごす。土日になると、昼までベッドから離れない。なんとかなるものである。寝だめ、食いだめは、慣れてしまえばできるものだと、若い頃から妙な確信を持っている。

 高校生の頃から学校に行くのが嫌で、さぼり続けていたのだが、授業に出ない分、効率の悪い独学に終始していた。大学に行っても同じだった。効率の悪い学習を補うには、眠らずに机に向かう体力しかない。授業に出たほうが、座っていればいいのだから、はるかに時間の節約になる。人並みから外れてしまうと、何ごとも余計な労力を費やさないといけなくなる。わかっていても、なかなか行動に移せない人間もいるのだと、弁解がましく自ら慰めていたのだが、今になって過去を振り返り、反省しても意味はない。無駄は無駄でしかなかったと、理性的な言葉しか浮かんでこない。社会人になって、学生時代には出席することも稀だった大学の夜間に行って、慌てて知識の埋め合わせをしたのだから、愚かなものである。

 学生から社会人になると、あり余るほどの時間があったはずの学生時代に、もう少し時間を大切に使っておけばよかったと思う人が多い。たくさん時間を無駄にした短い学生時代があったから、社会人という長い時間に立ち向かえるのだとか、いくらでも言い訳は立つ。ただし、年々、長寿になるのだから、慌てることもないというのは、信用しないほうがいい。長生きをするようになっても、ぎゅうぎゅう押し込むことのできる脳や精神の働きは、若い人の特権である。特別な時期が過ぎない間に頑張ってほしいと、軌道を外れたまま生きてしまった私の経験から伝える、ささやかな忠告である。


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