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ゆとり

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 

 道楽も極めないと、面白さがわからない。酒も李白のように溺れるほど飲んで、初めて酒を飲むことの本質がわかるのかどうか、「斗酒辞せず」といった域に達することがなかった私にはわからない。想像もできないほどの酒を飲んで慰めを得るような憂いがないのかも知れない。

 子供の頃、高名な大学の教授であった親族がいて、いつ、その家を訪れても、その方は机に向かっていた。「おじさんは、食事も家族の団らんも楽しまず、机に向かって勉強をしている時だけが、よろこびなんですって」。奥様は、子供の私に向かって、そんなことを話す。ある時、机に向かっているおじさんに、「勉強は、そんなに楽しいのですか」と聞いたら、「そう、ボクが何時間でも野球をしているのと同じだよ。一年に一度か二度くらい、発見がある。その愉しみに勝ることはない。ボクもいつか、机に座っていることが、いちばんの愉しみだということがわかるようになる」と、珍しく口を開いてくれた。すぐに分厚い書籍に顔を埋めてしまったのだが。おじさんの書いた小さな書物はいまだに古典として、中国の大学でも、もっとも優れた研究書として読まれているそうだ。書物も、酒も、淫するほどにならなかった私は、大学者にも李白にもなれなかった。正月休みなど、終日、机に向かって本を読んでいるのだが、おじさんが悦びとした、なにかを発見するに至ることはなく、せいぜいが、雑学の大家と揶揄される程度で終わってしまうようだ。

 怠け者というか、ぐうたらの典型だった私が、柄にもなく、遅ればせながら、月給取りになった頃、わからなかった仕事が面白くなって、当時の言葉で言えば、典型的なワーカホリックのような日々を過ごしたことがあった。ひと区切りがつかず、終電を過ぎてしまうと、朝まで仕事を続けたものだった。残業規制もなかった頃である。脳の働きはともかく、徹夜を続けられる体力だけはあったようだ。そのうえ、半ドンの土曜日の午後は、上司に誘われては麻雀をし、終わると酒を飲む。帰宅は終電だった。家庭もなにも、あったものではなかった。敗戦の廃墟から、「奇跡の高度経済成長」と世界を驚かせた時代である。

 1990年代の初め、IIJを設立し、シリコンバレーに足しげく通っていた頃、なによりも驚いたのは、技術開発や新事業を立ち上げようとする彼らの体力と集中力だった。独身の若者が眠る場所は、彼らの机の上、椅子、会議室のソファだった。妻帯者はアメリカらしく、一度、家に戻って、家族で食卓を囲み、食事を済ますと、オフィスに戻って、机に向かっていた。「タフでなければやっていけない」、そんなCMの言葉があったが、ほんとうに凄い体力と気力に溢れていた。そのスタイルは、今でも変わらないようだ。そこまでやらないと、世界に通じる技術やサービスを生むことができないのである。

 日本ではこのところ事件もあって、過重労働に対して監視の目がますます厳しくなっているようで、企業側も、まだ宵の口といった7時、8時にはオフィスの灯りを消し、残業を減らすことに注力している。24時間、オフィスから灯りが消えることがないと言われていたIIJも、7時頃にオフィスを出るエンジニアが増えて、つい「もう帰るの」と声を掛けたりしては、人事や労務の社員に叱られる。ストレスで病に至るほどの過重労働が良くないのは言うまでもないが、日々、過激な技術革新が続くITの世界で、日本だけがゆとりを優先した仕事への取り組み方になると、世界をリードするような競争に取り残されるのではないかと、不安になったりしている。


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