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悲観論

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 午後の気温は36度超、慣れというのは恐いもので、誰も驚かなくなった。ほぼ、人間の体温と同じである。37度になれば、湯に浸かっているようなものである。いくら長湯が好きな私でも、気温が37度になれば、終日、風呂に浸かっているようなものだと、喜んでばかりもいられない。7月でこの気温だから、8月になれば37度どころか、40度になるかもしれない。

 春から海外出張が続いた。欧州では、ロンドンやパリ、どこも記録的な暑さで、ミラノでは40度を超えた日もあった。休日だったので、試しに炎天下を歩いてみたら、すぐに熱中症のような感覚になって、慌ててホテルにもどり、冷却機能が壊れないように水を張った浴槽に漬かり、冷房の恩恵で、なんとか身体を守ったりした。

 人心地がついたときにネットを読み始めたら、2030年までに過去370年ほど経験したことがない「ミニ氷河期」が訪れると、英国の科学者が警告している記事があった。「ミニ氷河期」が訪れる根拠は、太陽の活動が60パーセントも低下する時期が15年後くらいにきて、それは数学モデルから算定したものだという。英国の学者ばかりか、NASAの研究者も「ミニ氷河期」説を発表している。歴史を辿れば、日本でも冷害が続いて、何年も大凶作になって人々が飢えに苦しんだ時期の記述をいくらでも目にすることができる。産業の巨大化や人口の爆発といった原因が環境破壊を引き起こすことで進行する温暖化ばかりに目がいくのだが、太陽の活動が60パーセントも低下するといった話になると、神の摂理を受け入れるほかないという諦めの境地になる。

 「ミニ氷河期」になれば、穀物の不作などで世界の人々が飢えて、せいぜい70億人を許容する地球の人口が100億人になるという深刻な事態が、一挙に20億人くらいに減少するのではないかという恐い記事もある。大地が水に覆われ、「ノアの箱舟」に逃れたという話を思い出したりする。人類が自らの意思では地球という場で生きる可能性を残すことができないのであれば、神というか天の意志によって人類を残してくれるのかと、子供じみた妄想が膨らんだりする。これも度が過ぎた暑さ故かもしれない。

 すべてのことは、ある閾値を超えると、まったく違った次元の世界になるようだ。科学技術の発展によって、たかだか200年、300年で、人々の暮らしから戦争の形まで、すべてが変わってしまったのは周知のことである。「征服し得るものとしての自然」という考え方も、太陽の活動といった抗いがたい力の脅威に晒されると、どこかで変わらざるを得なくなるに違いない。

 閾値を超えるといえば、オープン、分散、アナーキーといった形容がついている「インターネット」という技術革新も、技術的な深化、利用者数の爆発等々によって、究極の集中というか、規格化・規制化が進む。IoTに象徴される利用形態が可能となるには、強制力を持った徹底した規格化を進めざるを得ない。インダストリアル4.0というのも、同じことである。現在の日本が、この流れのなかで遅れをとるだろうことは間違いないと、いささか悲観的になっているのである。

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