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日本のインターネットはこうして始まった 誤算のスタートと「最悪の失敗」を乗り越え30年、エンジニアを育てることで次のステップへ

国内初の商用インターネット事業者としてスタートしたIIJの
これまでのあゆみを振り返り、次の30年に向けた想いを語ります。

国内初のインターネット接続事業者として、日本のインターネットを切り拓いた株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)。その30年間におきたさまざまな出来事の中から、日本のインターネットがまさに立ち上がろうという草創期と、新たなインターネットインフラの構築を目指しIIJがソニー、トヨタと設立した株式会社クロスウェイブ コミュニケーションズ(CWC)の苦難を振り返ります。そして、今後の日本のインターネットに、IIJはどんな役割を果たすことができるか、会長の鈴木幸一に聞いてみました。

今なら世界をひっくり返すことすらできるかもしれない - 解体予定のビルからのスタート

IIJが設立されたのは1992年12月3日。現在、IIJで代表取締役会長兼Co-CEOを務める鈴木幸一は、二人の友人から「日本でインターネット接続サービスを始めたい、そのために力を貸してほしい」という相談を受けた暑い夏の日のことが鮮烈な思い出として残っているといいます。

その二人というのは、日本の学術組織を結んだ研究用のネットワーク「JUNET」や「WIDEプロジェクト」などで日本のインターネット発展に大きな貢献をした慶應義塾大学の村井純教授(当時助教授)と、当時アスキー(※)のソフトウェア開発部長を務めており、のちにIIJの初代社長を務めることになる深瀬弘恭。米国で普及し始めているインターネット接続サービスを、日本でも始めなければならないという危機感を持つ二人が、経営のノウハウを持つ人物として白羽の矢を立てたのが鈴木でした。

当時の鈴木は、コンサルティング会社の経営などを行っていた。当初は自らが経営者として事業を始めることには慎重だったといいます。しかし、以前からインターネットという技術革新に大きな可能性があると考えていた鈴木は「商用インターネットの黎明期である今ならば、日本と世界をリードし、世の中をひっくり返すことすらできるかもしれない」――そんな思いから事業の立ち上げを決意したのでした。

  • (※)アスキー:1977年に設立されたコンピュータ関連の雑誌・書籍の出版社。現在は「角川アスキー総合研究所」としてKADOKAWAグループでシンクタンク事業を展開する。

郵政省との長い折衝を乗り越えてのサービス開始

インターネット接続サービスの事業化にあたって、誤算があったのは資金と許認可の問題でした。

資金面については、IIJの設立へ動き出した時点で鈴木が想定していた資本金は10億円。しかし当時はインターネットの可能性を理解する人がほとんどいない状況でした。支援を得られると聞いていた企業からの出資の話がなくなり、想定の50分の1にも満たない1,800万円という資本金での会社設立となります。会社設立の12月3日は、先述の「暑い夏の日」とは対照的なみぞれの降る寒い日だったそうです。

創業当時のオフィスの様子。現在の山王パークタワーの位置にある解体予定のビルの1階、
もとはショールームだったという100人は入るスペースに、総勢10人に満たない社員が集まっていました

そして許認可の面でも、その折衝に時間を費やすことになります。

当時の規制ではインターネット接続事業を行うには「特別第2種電気通信事業者」として郵政省(現総務省)から認可を得る必要がありました。しかし郵政省は「通信は公益事業であり、倒産は許されない」と考えており、会社が絶対につぶれないという財務基盤を示すよう求められたのでした。法律では通信事業への参入自由化がうたわれていたものの、倒産の可能性のあるスタートアップ企業の参入は実質認められないという状況だったのです。しかし、鈴木は諦めることなく何度も郵政省と折衝し、ようやく「最低3億円の財政基盤があることを証明すること」という条件を引き出しました。この後、銀行から3億円の融資の保証書を取り付け特別第二種通信事業者としての登録が認められたのが1994年2月28日。会社設立から1年3ヵ月が過ぎようとしていました。

登録が認められた直後の3月1日にインターネット接続事業を開始すると、次々にサービスの申し込みがありました。出資企業も6月には約20社にまで増えたといいます。そして同年6月には一般に普及していた電話回線を使ったインターネット接続サービスである「ダイヤルアップIP接続」のサービスを開始したことで利用者が一気に拡大しました。このころは法人向け・個人向けを問わずサービス契約数は爆発的な伸びで、全国の営業拠点の整備には着手していたものの、「営業がまったくいらない状況」だったようです。

このころのことを、鈴木は「自分の立ち上げた事業のリターンを得たいということではなくて、今インターネット事業をやらないと日本は遅れてしまうのではないか、という気持ちだった」と振り返っています。

IIJ30年の歴史の中で「最悪のできごと」 - クロスウェイブ コミュニケーションズ(CWC)の破綻

その後のIIJの歩みの中で、もっとも苦しかったできごとが2003年8月におきたクロスウェイブ コミュニケーションズ(CWC)の破綻です。

CWCは、従来の電話回線ではなくインターネット専用の高速データ通信基盤の構築を目指し、「広域イーサネット」サービスを立ち上げる会社として1998年10月に設立。CWCの設立に際し、40%をIIJが、30%ずつをソニーとトヨタが出資し、鈴木が社長に就きました。この時期、1999年8月にはIIJが米国NASDAQ市場に上場を果たしており、2000年8月にはCWCも同市場に上場を果たしています。

1998年10月にCWCを設立。当時の野田聖子郵政大臣より、第一種電気通信事業認可状を受け取りました

1999年8月にIIJは米国NASDAQ市場に上場。国内市場を経ずにNASDAQ市場への上場を行った初の事例となりました

広域イーサネットサービスは、現在は世界標準となっている通信インフラですが、その広域イーサネットサービスを日本で初めて「広域LANサービス」として提供したのがCWCでした。1999年時点の売り上げは1億円ほどで上場には実績が不十分かとも思われましたが、「事業コンセプトには将来を約束させる可能性がある」と評価され「コンセプショナルIPO」という方式で、上場が実現しました。上場によって調達した資金で設備投資を行い、2001年には沖縄を除く全国でサービスを提供できるネットワークを構築しています。

しかしCWCには、スタート前の時点から逆風が吹いていました。

CWCの事業開始に先立ち、そのインフラ整備について、通信自由化によって生まれた新興通信事業者のひとつである日本高速通信との間で交渉が行われ、CWCは日本高速通信の光ファイバー設備の使用権を買って自社のネットワークインフラを構築しようとしていました。

ところがその交渉のさなかの1998年7月に、国際通信を中心に事業を行ってきたKDD(国際電信電話、現在のKDDI)が国内通信への進出を目指して日本高速通信を買収することになります。そしてKDDも設備使用権の契約交渉に参加することになるのですが、KDDの参加により契約金は何倍にも値上げされました。それでもCWCが事業を開始するにはその契約金を呑むしかないと判断して条件を受け入れ、前述のとおりCWCの事業開始に至りましたが、この高額の支出がCWCを苦しめることになります。

事業開始後、顧客は増えるものの、追加の設備投資が必要となり、資金繰りは苦しい状態が続きます。さらに金融環境の悪化、電力系通信事業者との提携協議の頓挫、大株主であるソニーの株価下落による混乱といった悪条件が重なり、CWCは破綻。2003年8月20日に会社更生法の申請を行うことになります。

破綻前には、アメリカの通信事業者から、CWCとIIJの両方を莫大な金額で買収するという提案もありましたが、日本で立ち上げたインターネット企業をアメリカ資本の傘下に入れることを良しとせず、会社更生法を申請するという選択をしました。

「あと半年資金が続けば」。事業自体は好調に拡大しているのに、資金があと一歩続かなかった当時の状況を、鈴木は無念をにじませて振り返ります。もしCWCが何とか破綻を免れていたら、通信の世界の勢力図は今とは違うものになっていたかもしれません。

CWCの破綻はIIJの信用不安にもつながる大きな危機でしたが、将来を見通し困難な課題にチャレンジした結果でした。「これは誇り高い失敗。これからも前を向きイニシアティブをとり続けよう」と語りかけた鈴木の言葉を受け止め、会社を去る社員はほとんどいませんでした。

その後IIJはインフラ構築や加入者の獲得競争ではなく、さらに上位レイヤーのクラウドやセキュリティサービスで独自性を追求することに事業の主眼を切り替え、創業30年の現在、年間売上は2,500億円を超える規模まで成長を積み重ね、今後も更なる拡大を目指しています。

設備投資の一環として2003年にCWCが建設したデータセンター。
その後NTTコミュニケーションズに売却され、現在も拠点として活用されています

エンジニアの育成に力を入れることで、目指すIIJの将来像

この30年間のIIJの歩みは、社員たち、特に社外からも高い評価を受けるエンジニアたちの活躍なしに語ることはできません。

創業当時の社員たちはというと、認可が受けられずサービスが開始できない状況の中でも研鑽を重ね、新たな技術開発に没頭していたといいます。IIJのエンジニアの技術への挑戦や向上心、開発運用に取り組む真摯な姿勢が、事業やサービスの独自性を創出し、会社を牽引してきました。

IIJは、グループの従業員が約4500名になった今も、社員の7割をエンジニアが占めています。鈴木はつねづね、「会社は“実現”するところ。個人なら失敗したら破産するような挑戦であっても、会社なら、会社が大変になるだけなので、好きなだけ挑戦できる。だから、どんどん果敢に挑戦するべきだ」と社員の背中を押し、さまざまな活躍の機会や場をつくり、自由闊達な企業風土の中で多くの優秀なエンジニアを育ててきました。そして社内にとどまらず、社外に向けてもインターネットという社会インフラを支える人材を育てることの重要性を訴えています。

2022年11月、IIJ創立30周年の記念施策としてネットワークエンジニアを育成する取り組み「IIJアカデミー」が発表され、2023年5月に第1期が開講しました。技術習得に意欲があり、ネットワークスペシャリストを目指す社会人/学生を対象として開講されたこの教育プログラムは、「ネットワーク運用に関しては、世界でも飛び抜けて評価されている」と鈴木が胸を張るIIJの技術・知見を社外にも還元し、高度なIT人材を育成するものです。重要な社会インフラとなったインターネットを高い技術で安定運用するだけでなく、AIや量子コンピュータなど、これからの情報処理技術の活用の前提にもなる高品質なネットワークをつくり、世界のデジタルシフトをこれからも進めていきたい、そうした想いが「IIJアカデミー」につながっています。

IIJアカデミー:2023年5月に第1期が開講した

このように社内外の垣根なくエンジニアを育成することで、社会やマーケットが更に発展し、その中でIIJもネットワーク技術で先頭に立って成長する未来を思い描き、「もっと大きなスケールの会社になる」と鈴木は語ります。高品質で信頼性の高いネットワーク運用を核に、新たな技術開発やサービスの提供でイニシアティブをとり続けることを目指して、IIJは次の30年に向けて歩みを進めていきます。

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