
ヨーロッパにおけるサイバーセキュリティの最新動向

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2026/8/18
EUが進めるサイバーレジリエンス強化と日本企業への示唆
ヨーロッパは、長い歴史と多様な文化を持つ地域であると同時に、世界でも有数のデジタル先進地域でもあります。行政サービス、医療、交通、エネルギー、金融、製造業など、社会や経済を支える多くの機能がデジタル技術によって運用されており、その高い接続性は欧州の競争力を支える重要な基盤となっています。
一方で、デジタル化の進展は攻撃対象領域、いわゆるアタックサーフェスの拡大も意味します。重要インフラ、サプライチェーン、公共機関を狙ったサイバー攻撃は増加しており、欧州連合(EU)は現在、サイバーセキュリティに関する大きな変革期を迎えています。EUは加盟国全体のサイバーレジリエンスを高めるため、戦略、規制、官民連携、国際協力を組み合わせた包括的な取り組みを進めています。
拡大・高度化する欧州のサイバー脅威
欧州が直面しているサイバー脅威は、件数の増加だけでなく、攻撃の高度化、標的の多様化、地政学的リスクとの結びつきという点で深刻化しています。サイバー犯罪グループによる金銭目的の攻撃に加え、国家支援型攻撃グループによる情報窃取、妨害活動、影響工作なども活発化しています。
特に狙われているのは、病院、エネルギーグリッド、鉄道、産業システム、公共行政機関など、社会機能を支える重要インフラです。これらの分野では、システム停止が単なるIT障害にとどまらず、人命、公共サービス、経済活動、社会の信頼に直接影響を及ぼします。
EUのサイバーセキュリティ政策エコシステムも複雑化しています。EUでは150件以上の法規制と26の機関が巨大なエコシステムを形成しており、サイバーセキュリティが単一のIT部門の課題ではなく、社会全体で対応すべき政策課題として位置付けられていることが分かります。
ENISAの統計に見るインシデントの傾向
欧州連合サイバーセキュリティ庁(ENISA)によると、EUでは2024年7月から2025年6月までの間に4,875件のサイバーインシデントが確認されました。特に多かったのはDDoS攻撃で、報告されたインシデント全体の77%を占めています。DDoS攻撃は、サービス停止や業務遅延を引き起こすだけでなく、社会的混乱や企業信用の低下にもつながるため、公共機関や重要インフラ事業者にとって重大な脅威です。
一方、業務影響や財務影響という観点では、ランサムウェアが依然として最も深刻な脅威の一つです。ランサムウェア攻撃では、業務データやシステムが暗号化され、復旧と引き換えに身代金を要求されます。近年では単なる暗号化に加え、窃取したデータを公開すると脅迫する二重恐喝型の攻撃も一般化しており、企業には復旧対応だけでなく、情報漏えい対応、法的対応、顧客・取引先への説明責任も求められます。
初期侵入経路としては、フィッシングが60%、脆弱性悪用が21.3%を占めています。これは、多要素認証、メールセキュリティ、EDR、脆弱性管理、パッチ適用、従業員教育といった基本対策の重要性が依然として高いことを示しています。さらに、AIを悪用したフィッシングやソーシャルエンジニアリングも増加しており、従来よりも自然で見分けにくい攻撃メールや偽メッセージへの対応が必要になっています。

標的となった分野では、公共行政が38.2%と最も多く、次いで運輸、デジタルインフラ、金融、製造業が続きます。公共行政の被害件数が多い一方で、製造業やデジタルインフラ分野では、ランサムウェアやデータ漏えいによる影響が大きいことも指摘されています。

具体的なインシデント事例
欧州では、サイバー攻撃が現実社会に大きな影響を及ぼす事例が相次いでいます。
2024年6月には、英国国民保健サービス(NHS)の医療サービス提供者であるSynnovisが、ランサムウェアグループ「Qilin」による攻撃を受けました。この攻撃により、患者データや検査結果へのアクセスが制限され、診断や治療に広範な遅延が発生しました。医療機関への攻撃は、システム停止が人命に直結し得ることを示す象徴的な事例です。
エネルギー分野でも、サイバーリスクは深刻化しています。2025年12月、ポーランドでは、風力・太陽光発電所、製造会社、大規模な熱電併給(CHP)発電所を標的とした攻撃が報告されました。攻撃者は監視システムを無効化し、リモート運用を妨害し、ワイパーマルウェアを展開しようとしたとされています。大規模な物理被害やグリッド停止は回避されたものの、再生可能エネルギーや分散型電力システムが新たな攻撃対象になっていることを示しました。
通信分野では、2020年にギリシャの携帯電話通信事業者COSMOTEがソーシャルエンジニアリング攻撃を受け、電話番号、通話時刻、通話時間、デバイス識別子、ローミング情報などの加入者メタデータが流出しました。通話内容そのものは漏えいしなかったものの、通信メタデータは個人の行動や関係性を推測するうえで非常に重要な情報であり、プライバシー保護の観点から大きな問題となります。
また、2023年にはフランスの公的就業支援機関のフランス・トラヴェイユにおいて、約4,300万人分の個人情報が漏えいしました。流出情報には氏名、生年月日、社会保障番号、雇用関連情報が含まれており、身分盗用や詐欺への長期的なリスクが懸念されています。この事例は、公共行政機関におけるデータ保護とサイバーガバナンスの重要性を改めて浮き彫りにしました。
EUのサイバーセキュリティ戦略
こうした脅威に対応するため、EUはサイバーセキュリティ戦略を通じて、規制、投資、政策調整を一体的に進めています。その中心にあるのは、重要セクターのレジリエンス強化、大規模インシデントへの共同対応、技術的主権の確保、国際協力の推進です。
重要セクターのレジリエンス強化では、医療、エネルギー、交通、産業用IoT、デジタルサービスなどを対象に、セキュリティ基準の向上が求められています。また、EU市場に投入されるデジタル製品やサービスについても、ライフサイクル全体で高いセキュリティ水準を確保することが求められています。
大規模サイバー攻撃への対応では、加盟国間で状況認識を共有し、国境を越えたインシデント対応を迅速に実施する体制づくりが進められています。サイバー攻撃は一国の中だけで完結するものではなく、サプライチェーンやクラウドサービスを通じて複数国に波及するため、国際的な連携が不可欠です。
また、EUは技術的主権、すなわち”Technological Sovereignty”も重視しています。これは、サイバーセキュリティ技術、認証制度、デジタルインフラを欧州域内で強化し、域外技術への過度な依存を低減する考え方です。セキュリティは単なるIT投資ではなく、産業競争力や経済安全保障とも密接に関係しています。
NIS2をはじめとする主要規制
欧州のサイバーセキュリティ枠組みを支える代表的な規制が、NIS2指令です。NIS2は、エネルギー、交通、金融、医療、デジタルインフラなどの重要・必須事業者に対し、より厳格なリスク管理とインシデント報告を求めるものです。対象組織は、技術的対策だけでなく、組織的対策、サプライチェーン管理、事業継続、経営層の関与を含むセキュリティ管理体制を整備する必要があります。
そのほか、EUサイバーセキュリティ法はICT製品・サービスの認証枠組みを整備し、ENISAの役割を強化しています。また、CER指令は重要事業体の物理的およびサイバー面でのレジリエンス向上に焦点を当てています。これらの規制はいずれもリスクベースのアプローチを採用しており、社会的影響が大きい分野ほど厳しい対応が求められる構造になっています。
ECSOが担う官民連携の役割
欧州サイバーセキュリティ機構(ECSO)も、欧州のサイバーセキュリティエコシステムを支える重要な存在です。2016年に設立されたECSOは、企業、研究機関、公的機関、サイバーセキュリティベンダーなど欧州全体の多様な主体を結びつける官民パートナーシップとして機能しています。
ECSOは2030年に向けて、競争力のある欧州、強靭な欧州、世界的なトレンドセッターとしての欧州という3つの戦略目標を掲げています。研究開発、人材育成、重要インフラ保護、サプライチェーンセキュリティ、国際標準化などを通じて、欧州全体のサイバーセキュリティ能力を高めることを目指しています。
日本企業が押さえるべきポイント
欧州のサイバーセキュリティ強化は、日本企業にとっても重要な意味を持ちます。欧州に現地法人や拠点を持つ企業、欧州企業と取引する企業、EU域内でデジタルサービスや製品を提供する企業は、NIS2や関連規制への対応を避けて通れません。
特に日本本社には、海外拠点任せではなく、グローバルITガバナンスの一環として欧州拠点のリスクを把握し、統一的なセキュリティポリシー、資産管理、脆弱性管理、インシデント対応体制を整備することが求められます。製造業であれば、IT環境だけでなくOT環境や工場ネットワークも含めた対策が必要です。
欧州が進める取り組みは、単なるコンプライアンス対応ではありません。サイバー脅威が複雑化し、サプライチェーンを通じて国境を越えて波及する現在、可視性の確保、統制の標準化、迅速なインシデント対応、経営層の関与は、グローバル企業に共通する課題です。
おわりに
ヨーロッパは現在、統一的で強靭なサイバーセキュリティ体制への移行を加速させています。NIS2をはじめとする規制強化、国境を越えた協力、安全なデジタルインフラへの投資、官民連携の推進により、EUは安全なデジタルトランスフォーメーションを支える基盤づくりを進めています。
日本企業にとって重要なのは、欧州の動きを単なる地域規制として捉えるのではなく、今後のグローバルなサイバーセキュリティ標準の先行事例として理解することです。欧州拠点の規制対応を契機に、グループ全体のセキュリティガバナンス、サプライチェーン管理、サイバーレジリエンスを見直すことが、今後の事業継続と競争力の維持につながります。
IIJは英国およびドイツの拠点を通じて、欧州で事業を展開する企業のセキュリティガバナンス強化、国境を越えたインフラ管理、現地規制に対応したサイバーセキュリティ体制の構築・運用を支援しています。複雑化する欧州のサイバーセキュリティ環境において、企業には実効性のある対策と継続的な改善が求められています。





