今、インターネットに求められるもの

株式会社インターネットイニシアティブ
技術主幹 三膳 孝通

本稿では、現実に即した視点からインターネットのあり方を捉え直したうえで、インターネットが果たすべき役割を再検討してみたい。

  • 本記事はIIJグループ広報誌「IIJ.news vol.143」(2017年12月発行)より転載しています。

今やインターネットは我々の日常生活のあらゆるところに普及し、ネットワークのない生活は考えられなくなっています。法人・個人を問わず、ネットワークを介して日々、大量の情報が世界中でやり取りされ、我々はそうした情報に接しながら生活や活動を営んでいます。
インターネットが当たり前になった今、インターネットには何が求められているのでしょうか? IIJの創立25周年にあたり、改めてインターネットを展望してみたいと思います。

現実の一部になったインターネット

最初に、ひとつ明確にしておきたいことがあります。インターネットはすでに「現実」の一部であるということです。

以前ほどではないにせよ、いわゆる日常を「現実」「リアル」、インターネットを「バーチャル」「サイバー」と区別し、それぞれを別の事象として扱う風潮があるように感じます。しかし、そうした区別はもはや無意味であるばかりでなく、むしろ物事の本質を捉えるうえで弊害になるとさえ思えます。

ネットでのコミュニケーションは、既存の手紙・電話・駅の伝言板・喫茶店の落書き帖などと本質的にどこが異なるのでしょうか? ネットで知り合った人と、ひと昔前の雑誌の文通欄で知り合った人との本質的な違いは何でしょうか? インターネットというメディアの空間的な広がり・伝達速度・情報量の多さは、以前の手段とは比較になりませんが、本質においては同じはずです。

「ネット」という言葉から連想される、ツイッター、LINE、フェイスブックなどSNSにおけるコミュニケーションを特殊であるかのように扱うのは、そろそろやめるべきではないでしょうか。今、社会的な話題・問題になっている現象は、ネットだから起こったわけではなく、ネットでなくても起こり得たと考え直し、問題の本質を見極めていくことが大切だと思うのです。

例えば、自動車を使った銀行強盗のことを「自動車犯罪」とは言わないですし、電話を使った詐欺を「電話詐欺」とは言いません。手段はあくまでも手段であって、通常、物事の本質はそれとは別のところにあります。

今日、コミュニケーションの機会は、電話や手紙などより、明らかにネットのほうが多いでしょう。ネット上での会話や活動は、現実の一部なのです。現代はネット社会であり、ネットなしでは成り立たないし、むしろそこからスタートすべきことのほうが多いように思います。

今後もますますネットの影響力は大きくなり、それにともない責任も重くなっていきます。ただ、それは道具が担う責任以上のものではなく、過分な責任をネットに押し付けるのは、最終的な問題の解決にはならないでしょう。

決して大きく取り上げられることはないかもしれませんが、ネットでのコミュニケーションによって救われたり、助けられたりすることは、ネットで傷つけられたり、苦しめられたりすることと同じくらいはあるのではないか……少なくともそうと信じたいです。もちろん、救われたり助けられたりすることのほうが多いとしたら、ネットに関わる人間として本当に嬉しく思います。そういうネット社会を目指していきたい気持ちは誰しも同じです。

組織の情報インフラがもっとも"プア"な現状

クラウドコンピューティングが急速に発展し、多種多様なサービスが爆発的に普及しています。また、スマートフォンやタブレットが多機能化・大容量化し、ユーザの手元環境がどんどんリッチになっています。

個人向けのインターネットが普及し始めたのが1996年で、iPhone の登場が2007年です。そしてこの10年で、スマホを手にネットやクラウドのサービスを利用するのが当たり前になりました。やり取りされる情報、写真や動画など蓄積されるデータが劇的に増え、ありとあらゆる情報をネット経由で、あっという間に、街角で、職場で、電車のなかで、観光地で、海外で……利用できるようになりました。

他方、組織の情報システムはどうでしょうか?近年、企業の情報インフラは、アウトソーシングやクラウドサービスの充実、ネットサービスの高度化・高速化、そして情報セキュリティ対策の負担増などにより、徐々に外部サービスの利用へと転じ、組織内の情報インフラは縮小し続けているのではないでしょうか?

スマホの進化、クラウドサービスの多様化、モバイル環境の整備、新たなコミュニケーションツールの登場など、新しい使われ方が日々生み出されるなか、組織の情報システムを変化の速度に追随させていくことは、ほとんど不可能と言えるでしょう。特に日本の組織の情報システムは、最先端というより保守的になりがちで、現実の環境のなかではもっとも"プア"といっても過言ではありません。

では、組織内の情報システムがプアだと、何が問題なのでしょうか? 一般のユーザはスマホという高性能なデバイスで多機能なクラウドサービスを使いこなしており、組織の情報システムでも同じような使い方ができたら便利なのに、と思うのは当然です。

組織内には重要な顧客情報や経営情報があるので、それを守るにはネットから閉じた環境において、特定の使い方しか許可しない、というのが今までのセキュリティに対する考え方でした。しかし今や、社内ネットワークにつながっている機器は、パソコンやプリンタといった情報システム部門が把握している機器だけでなく、携帯電話などのモバイル機器がワイヤレスでつながっていたり、コピー機などのOA機器がメンテナンス目的でつながっていたり、カメラやセンサといったいわゆる IoT 機器がいつの間にか接続されていたりするケースが考えられます。さらには、標的型攻撃などの巧妙化により、社内ネットにつながったパソコンもセキュアとは言い切れません。つまり、社内ネットはもはや安全地帯ではなく、外部とほぼ同じと見なさなくてはならないのです。

このように環境が大きく変化している最中に、社内の情報インフラはプアなままに保ち、変化への対応コストを最小限に抑えて、ユーザのリッチな環境を活用してその要求に応えていくのが、ビジネス的にもっとも合理的な解決策だ、と一般には考えられています。ただし、何もかも外部に丸投げしてしまうのは、ICTが一段と重要になるなか、ノウハウを失いかねないので、できれば避けたいところです。

それぞれの組織には、それぞれのICTの使い方があります。さし当たり今は、外部リソースを活用するのが合理的かもしれませんが、そんなときこそ情報活用・ICT活用に関する根本的なノウハウを蓄積しておくべきではないでしょうか。組織内の情報システムの構築・運用といった手間と時間のかかる作業から一瞬解放されるかもしれないこの時期に、次の時代の情報活用や実装のあり方を想定し、組織の情報体力を蓄えておくことが重要なのです。

スマホ・クラウド時代がいつまでも続くわけではありません。たかだか10年程度のトレンドに振り回されるのではなく、長期的な展望を携えて、情報活用の戦略を立てていくことが、今の組織に求められていると思います。

情報インフラとしての本分・身の弁え

インターネットには、主に二つの側面があります――「情報インフラ」としての側面と、本稿冒頭で述べた「ネット」と呼ばれる現実に浸透した情報利活用の側面です。ここからはIIJが深く関わっている情報インフラとしての側面について、今後のあるべき姿とともに考えてみましょう。

情報セキュリティの深刻化やネットの不適切な利用による犯罪の増加などにより、最近、インターネットに対して適切な対策を望む声が増えています。ネットが安心・安全に使われることが重要なのは言うまでもなく、そのための多くの努力が事業者や業界団体によって行なわれています。ただ、何もかもネット=インフラ側に対応を求められるのは、少し違うのでは?とも感じています。インフラにはインフラとしての本分があり、それ以上のことを担うのは、今後の発展を阻害しかねないからです。

インターネットがこれほど広く普及した要因の1つに、インターネットが「情報流通に特化したインフラ」である点が挙げられます。原理的にインターネットでは、つながる機器(サーバや通信機器としてのルータ、PCやスマホなどの端末、センサなどの IoT機器も含む)がアプリケーションやサービスを自由に決められる一方、ネットワークの役割は情報としてのデータを透過的に通すのみです。従来型のネットワークが利用するアプリを規定したり、その機能を支援していたのと異なり、インターネットはアプリの機能を規定しません。それゆえ、新しい機能やサービスがインターネット上で次々と実装されてきたのです。

WWW(World Wide Web)も当初はインターネットの標準的な機能ではなかったのですが、プロトコルが提案され、ブラウザが実装されて広く使われるようになったことで、さまざまなサーバやブラウザなどのソフトウェア、検索エンジンやディレクトリサービスなどのコンテンツ、ホスティングなどのアウトソーシング、個人向けISP……等々の登場につながり、ネットサーフィンというインターネット普及の原動力となったムーブメントが誕生しました。そしてその後も動画サイトやSNSのようなコミュニケーションツールなど、ネット上でしか実現し得ないサービスが登場・普及しました。

今後も新しいサービスや利用形態の出現が期待されるネットにおいて、基本的な安全性や信頼性を確保することはもちろん大切です。しかし、それが過剰になり、ネット上のサービスやコンテンツを制限してしまうような事態は避けなければなりません。

例えば「道路」というインフラは、道路上を走る自動車の機能や性能を規制したり、利用目的を制限したりはしません。EV(Electric Vehicle)や自動運転車といった新しい乗用車が登場したのは、道路がインフラとしての機能のみを提供しているからです。「電力」というインフラも同様で、家電製品の種類や利用目的を制限したりはしません。洗濯機や冷蔵庫、ラジオやテレビといった数多くの家電が登場したのは、エネルギーインフラとしての電力の汎用性・柔軟性に依る部分が大きいのです。

インターネットは、情報の利活用に資する「ネット」という側面でもまだまだ発展の可能性があり、今後も多種多様な利用がなされていくでしょう。しかしそのためには、インターネットが原則として新しい利用形態を妨げないことが不可欠です。もちろん、信頼性・安全性・利便性を高めるために、また、普遍化・高信頼化・高速化・汎用化・省電力化・多機能化を実現していくために、インフラとしてのインターネットがやらなければならないことはたくさんあります。IIJが進めているフルMVNOや wizSafeとして展開しているセキュリティ事業も、その具現化の一過程であると考えています。

インターネットのユーザとして

IIJはISPであるため、ビジネス面ではサービス提供者としての役割が大きいのですが、それと同時にインターネットを利用するユーザでもあります。IIJが提供してきた過去のサービスの多くは、基本的に「こんなサービスが欲しい」という視点から、自分たちのニーズを具体化してきたものです。コネクティビティ然り、セキュリティ然り、アウトソーシング然り、クラウド然り……。つなぎたいと思ったらつなげられる、使いたいと思ったら使える、「料金が高い」と言われたサービスもありましたが、自分たちがビジネスを行なううえでインターネットを使ってきた以上、ビジネスで使えないような品質のサービスは提供したくなかったのです。インターネットが今日ほど普及する以前から「いつかビジネスで使うときが来る、そのときに使えるような品質を」と考えていました。

幸いなことに、インターネットはビジネスだけでなく、日常生活のあらゆる場面で利用され、品質面でも「普通に使える」ことが求められるようになりました。当たり前に使っていただく裏には、実は多くの苦労があるのですが、そんなふうに使っていただけることこそ、とりもなおさず光栄だと感じています。

これからもネットワークは至る所に張りめぐらされ、我々の想像を超えるような使われ方も出てくるでしょうが、どんなときにもインターネットは何らかの役割を果たしています。IIJはその世界に向かって、インターネットの良きユーザとして、そして良きサービス提供者として貢献していけるよう、頑張っていきたいと思っています。

遠くない将来、「インターネットで」という言葉は今ほど使われなくなっているかもしれません。人々の暮らしのなかに溶け込んで、意識されることが全くなくなってしまう――しかし我々にとって、そういう世界がむしろ目標なのです。

(イラスト/高橋庸平)