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コラム|Column

インドネシアはバリとジャカルタだけでない

日本人にとって、インドネシアと聞いてパッと思い浮かぶのは、バリ島と首都ジャカルタでしょうか。バリ島の海岸沿いの高級リゾートホテル、ジャカルタの高層ビルが林立するオフィス街、そんなイメージが湧いてくるかもしれません。しかしそれらは、インドネシア全体の小さな点に過ぎません。

インドネシアの領域は、西端のアチェから東端のパプアまで、アメリカ合衆国がすっぽり入るほどの広さがあり、3つの時間帯を持つほどです。バリ島は日本より1時間遅い「中央インドネシア時間」、ジャカルタは日本より2時間遅い「西インドネシア時間」を使っています。パプアと日本の時差はありません。首都ジャカルタはインドネシアの真ん中ではなく西寄りに位置します。これだけの広い領域に2億5,000万人が暮らしているのですが、その半分の人口は、国土面積のわずか8%弱に過ぎないジャワ島+バリ島に集中しています。「インドネシアは人が多い」とよく言いますが、ジャワ島+バリ島以外の92%のインドネシアは、いくつかの地方都市を除いて、むしろ閑散しているのです。

インドネシア語でまとまる国家

インドネシアは、かつてオランダが植民地支配していた領域でした。この領域が初めて一体感を持ったのは、300年以上のオランダ植民地支配の最後の頃で、「オランダ支配から独立する」という一つの大きな目標の元で一致団結しました。それまではずっと、オランダの策略もあり、領域内の各地域・種族同士はいがみ合い、場合によっては戦い合うバラバラの世界でした。現在のインドネシアには1万7,508個の島々があり、1,128種族が749種類の地方語を話しています。一国あたりの言語数ではパプアニューギニアに次いで世界で二番目に多いのです。こんなバラバラな領域がどうしてインドネシアという1つの国家としてまとまることができたのでしょうか。

その答えはインドネシア語です。インドネシア語は、この領域で交易をしていた商人が使っていた海洋マレー語をベースとした、時制がなく文法も簡単な人造語です。フィリピンやインドのように、使用人口が最多の言語(ジャワ語)を国語にしなかったのは英断でした。ジャワ語は日本語並みに難しい言葉なのです。インドネシア語はエスペラントのような言葉と言っていいかもしれません。今では、インドネシアのどこへ行っても、インドネシア語さえ分かればコミュニケーションが問題なくできます。日本もそうですが、実はそのような国は世界中では非常に少ないのです。

ですからインドネシア人は、インドネシア語と自分の母語である地方語のバイリンガル生活が普通です。自分の家や地元のコミュニティでは母語を使い、外来者にはインドネシア語を使い、初めてインドネシアに来た日本人には英語や日本語を使う、といった具合です。インドネシアという国家がまとまって成り立っているのは、インドネシア語のおかげといっても過言ではありません。長い間バラバラだった多種多様な種族がインドネシア語を使う人々としてまとまり、インドネシアという国家を意識している。インドネシアの国家理念である「多様性のなかの統一」は、インドネシア語の存在によって実現しているのです。

松井 和久 氏

松井グローカル 代表

1962年生まれ。一橋大学 社会学部卒業、インドネシア大学大学院修士課程修了(経済学)。1985年~2008年までアジア経済研究所(現ジェトロ・アジア経済研究所)にてインドネシア地域研究を担当。その前後、JICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)やJETRO専門家(インドネシア商工会議所アドバイザー)としてインドネシアで勤務。2012年7月からJACビジネスセンターのシニアアドバイザー、2013年9月から同シニアアソシエイト。2013年4月からは、スラバヤを拠点に、中小企業庁の中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)も務めた。2015年4月以降は日本に拠点を移し、インドネシアとの間を行き来しながら活動中。