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「21世紀には、金融と通信を牛耳ることで、米国が覇権を握るのだ」――
「21世紀には、金融と通信を牛耳ることで、米国が覇権を握るのだ」――ベトナム戦争は終わったものの、米国が深刻な状況にあった頃、米国の知人と飲んでいると、そんな言葉を口にしていた。酔うことのなかった私は、彼らに誘われては、バーのカウンターでよく長話をしたものだ。
高校に入学してすぐ、将来の方向が予測し得るような軌道から外れてしまった。当てもない読書をしながら、何とない不安感にとらわれていたのか、授業にも出席せず、放浪というには大袈裟だが、上野の文化施設や京橋にあった国立のフィルムライブラリーで時間を過ごすことが日々の行動だった。都会生まれで、中学生の頃から喫茶店で長い時間、本を読んでいたこともあり、当時の高校生にしては、都会の真ん中で時間を潰しかねるといったこともなかった。
そんな生活が身についていたせいか、大学や社会人になった頃から、日本に来ていた米国や欧州の知人が増えていった。まじめな日本人としか出会っていなかった彼らには、少しばかり変わっていた私の雰囲気にほっとしたのかもしれない。なにより、アルコールの消化酵素が日本人離れしている体質もあって、長話をしても酔っぱらうことがなかった私とは、安心して飲めたのかもしれない。いまだに声をかけてくれる知人、友人が多過ぎて、週末も誰かしらと飲んで過ごすことが多い。
私にコンピュータの新たなソフトウェアを教えてくれたのは、米国籍を取得していたチェコ人の大学教授だった。彼の教えを受けなかったら、私とコンピュータの関わりは、飲み代稼ぎに終わっていたはずである。
「インターネットという大技術革新を米国がリードすることによって、21世紀には再び米国が圧倒的な覇権を握るようになる」――繰り返し、将来の世界の構造を教えてくれたのも彼だった。
私が学生だった頃、 AIという言葉がメディアに出るようになり、怠け者だった私も一寸ばかりかじる気になった。当時のAIは「推測統計学」という言葉のほうが、ぴったりの世界だった。 AIはその後も人々の関心を集め続けたが、インターネットの普及、高速化によって膨大なデータが瞬時に集まる一方、半導体の急速な進化によって、圧倒的な情報処理が可能になり、 AIは別次元の技術革新として、世界を変えていくというのが、共通認識となりつつある。
AIの将来を素人が見ると、そのコストはどこまで膨らむのだろうかと、危惧されるのだが、最近、AI投資に対する資金量が桁外れになっていることに気づく。市場から新規に導入する資金の規模が300兆円といった額になっている例もある。まさに金融とインターネットで、再び世界の覇権を握るという米国の国家戦略が数10年を経て、実現している気がしてしまうのである。
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