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ぷろろーぐ 呆れた存在

IIJ.news Vol.176 June 2023

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役会長 鈴木幸一

旅先から新幹線で東京駅に戻る。帰宅する道すがら、和菓子屋と花屋に寄り、柏餅と菖蒲を買う。部屋に戻り、お茶を入れ、ひとり、柏餅を食べ、風呂を沸かし、菖蒲湯に入る。高齢者になると、日々の暮らしは、何事につけ怠惰になるばかりだが、端午の節句には、なぜか律義に柏餅を食べ、菖蒲湯に入る。何の感慨も浮かばないのだが、ゆったりと湯に浸かっていると、いつもとは違う時間が流れていく。年齢を重ねるにつれ、時の経過が早くなり、あっという間に消えていく。春の淡雪のように、あらゆる記憶が瞬時に溶けて消えていくのだが、菖蒲湯に浸かっていると、昔の記憶の断片が走馬灯のように、次々と脈絡もなく浮かんでは、消えていく。湯からあがって、タオルを巻いてソファに座る。湯船の続きのような感覚のまま、時の流れを忘れて、いつの間にか眠けに襲われる。春とはいえ、気がつくと肌が冷たくなっている。「寒い」、ひとり呟いて目を覚ます。何十年と、同じような5月の連休の過ごし方である。

連休が終わり、オフィスに出ると、翌月の株主総会を控えて、前期の年次決算の細かい数字、今期の予算などの資料が積まれている。「順調な推移ですね」、取締役会で非常勤取締役の方が、そんな言葉で励ましてくれるのだが、「そうですかねえ」と、呟くだけである。大きな技術革新の渦中にあって、この程度の成長でいいのかどうか、疑問符の言葉を口にする。成熟した産業分野で、この成長率なら、まあ、よくやっているのかなあと思うのだが、世界的に見ても、経済成長を支えるIT産業のコアである巨大な技術革新、インターネットを牽引してきたポジションにある企業としては、なんだか寂しいのである。

IIJを設立して30年が経った。インターネットの接続企業としては、米国のUUNETに次いで、世界で2番目に設立したのがIIJである。以後、世界中のインターネット接続事業者が、巨大な電話会社や通信事業者に売却、あるいは、さまざまな分野の巨大企業と合併することによって、世界規模の事業分野を担ってきたのだが、IIJは古風な日本企業のように、紆余曲折を経ながらも、独立した企業として30年の歴史を重ねてきた。インターネット・プロバイダという昔ながらの分類があるとすれば、いつの間にかIIJは、世界でもっとも長い歴史を誇り、もっとも大きな規模の事業者ということになっていた。その一方で、IT分野にありながら、いかにも古臭い日本企業のモデルを引き継いでいると、揶揄されても仕方のないカルチャーなのかもしれない。

1990年代の終わり頃に米国の西海岸に渡り、インターネット・プロバイダやIT関連企業を起業した知人と会う。危ない、あるいは大苦戦といった噂が絶えない企業の事業主のはずが、真っ黒に日焼けした顔で、「会社は売却した。まあまあの価格で売却できたので、大きな家を買って、今年いっぱいくらいは、毎日、ヨットで海に出て、ぼんやりすることにした」。倒産寸前のところから豊かになった知人が、海辺のレストランに案内してくれる。旨いワインをご馳走されながら、「鈴木さん、頑張るなあ。でも、そろそろ売ることも考えた方がいいよ。疲れるでしょう」などと、話し込んだ。

疲れているはずが、30年も続けている。彼らから見れば、きっと呆れた存在としか思えないのかもしれない。


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