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ぷろろーぐ 今夜が人生のピークかも

IIJ.news Vol.170 June 2022

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

「干ばつ、凶作、火山噴火、津波は、文化の崩壊や人口減少をもたらし、場合によっては、暗黒時代を招く。しかしそれはまた、社会の変化も導き、新たな交流、移住、技術移転によって、文化の進化は加速する」。

このような学者の正論に接すると、地震、火山噴火、津波など自然の脅威にさらされ、時に、そうした自然の猛威が人の暮らしを根底から破壊しても、消え去ることなく、その都度、復活してきた歴史を持つ日本で暮らす人間にとっては、「まあ、そうかもしれないけれど……」と、一歩引いて、逡巡しながら考えこんでしまう。

その是非はともかく、17世紀の初めから19世紀末まで、幸いにも300年近い鎖国を続けられたことで、爛熟し、洗練され、退廃に至る高度な文化をつくりあげたのだが、明治維新後はその平和な時代のツケを払うかのように、海外との軍事的緊張のもと、強権的な統制国家となり、江戸期とは対照的な社会となっていった。それが行くところまで行ってしまった結果が、悲劇としか表現しようのない太平洋戦争だったのかもしれない。

庶民でありながら、どこかしら昔々の享楽的な趣向が残っていた、明治生まれの母に育てられた私は、その趣を受け継いだようだ。幼児の頃から、終日、蓄音機を廻しては西洋音楽に触れ、ラジオが大好きで、落語、浪曲から、歌謡曲、歌舞伎に至るまで、飽きもせずに聞いていたらしい。小学校に通うようになっても、その習癖は変わらず、生涯の道楽となった「東京・春・音楽祭」を始めることになったのも、幼少期の育ち方が年齢を重ねるごとに、強く影響するようになったからかもしれない。

「口に出して、話している現在進行形の内容と、同じ時に、脳が回転して、考えていることのテンポが違う。当然、聞くほうにしてみれば、よくわからないことになる。話していることと、脳の働きが同期すれば、もう少し理解者が増えると思うけどなあ」。

いつもそんな注意をしてくれる先輩が何人かいた。ひとりは、だいぶ前に亡くなった大先輩の小林陽太郎さん、もうひとりは出井伸之さんだった。その出井さんが6月に入ってすぐ、鬼籍に入ってしまった。出井さんは、誤解されることが多い人だった。ある年齢を越えると、先輩という礼も忘れてしまうのだが、大胆で将来を読む鋭い感性を持つ一方、辛らつな言葉を吐くわりに、つい気遣いをしてしまう育ちのよい坊ちゃんといった感じの人だった。

21世紀になった頃だったか、ボストン郊外のタングルウッドで開催される音楽祭に、出井さんと行った。季節外れの寒さに震えながら、芝生に座って小澤征爾さんが指揮するコンサートを聴いていたのだが、あまりの寒さに、途中でホテルのバーに逃げ込んで、ふたりでウイスキーを飲んでいた時の話である。

「人生、いつまでもいいことが続くことはないからなあ。今夜が人生のピークかも知れない」――奥様から訃報を知らされた時、ふと、あの寒い夜のウイスキーを思い出したのである。


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