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コラム|Column

普通の携帯電話でできること

スマートフォンになる前から、普通の携帯電話でできることがいろいろありました。たとえば、画像の送受信、音楽の聴取などが可能なほか、SMSバンキングという名前で、銀行取引の一部が可能でした。残高チェックだけでなく、送金や入金もSMSを活用して行うことができました。また、 SMSで航空チケットを予約した後、一定時間内に銀行ATMで支払うことも可能でした。また、郵便局などを通じて、銀行口座を持たない相手へSMSを使って送金するシステムも開発され、実用化しています。

プリペイドSIMには、購入した後も追加する形で、通話やSMS等で利用可能な度数を入れられますが、この度数の全部または一部を同じキャリアの他の携帯電話へ送ることができます。またこの度数を電子マネーのように扱うことができるため、携帯電話会社は、携帯電話の度数を現金のような決済手段とする取引を検討しています。

インドネシアの携帯電話は、SMSを最大限に活用することで、シンプルな仕組みではあっても様々な機能が付けられていました。それを踏まえたうえで、多くの機能がスマートフォンへ受け継がれました。携帯電話やスマートフォンが普及して価格が手頃になったところにソーシャル・メディアが登場し、課金されるSMSからフェイスブックなどへの移行が進みました。

ソーシャル・メディアが社会を動かす

インドネシアが民主国家として少しずつ成熟へ向かうなかで、ソーシャル・メディアが世論形成に重要な働きを示す場面が現れてきました。

例えば、2009年、ある病院のサービスへの不満をメーリングリストで流した主婦がその病院から名誉毀損で訴えられ、裁判の後で逮捕されるという事件がありました。この主婦を救うために、支援者たちはフェイスブックを通じて支持や募金活動を行い、それが社会現象となって全国へ広がり、最後には主婦が釈放されるという結末に至りました。この事件は、インドネシアでソーシャル・メディアが世論を動かした最初の事件となりました。

その後、汚職撲滅委員会が警察内部の汚職事件を捜査し、逆に警察が汚職撲滅委員会の活動を抑えようと動いた際にも、フェイスブックやツイッターを通じて汚職撲滅委員会への支持の輪が広がり、警察批判の世論が大きく形成されました。

インターネット上のニュースサイトでは、読者が記事に対するコメントを簡単に投稿でき、それをめぐって様々な議論が起こるケースもあります。ニュースサイトもソーシャル・メディアの要素を積極的に取り入れています。

このように、インドネシアでは、政府や政治家がソーシャル・メディアの影響を軽視できなくなってきています。逆に、政府や政治家もソーシャル・メディアを活用して、自分たちに有利な情報の拡散を図り始めています。

実際、ジョコ・ウィドド大統領もフェイスブックやツイッターで盛んに発信しています。大統領選挙や議会選挙では、候補者や政党が積極的にソーシャル・メディアを活用するのが当たり前になりました。他方、政治家たちの隠したい情報やゴシップも、容易に表面化するようになっていきました。

求められるのは情報の取捨選択能

インターネットの普及に伴うソーシャル・メディアの広がりは、汚職撲滅や情報公開の観点から、政府も積極的に取り入れる姿勢を見せています。

かつてスハルト時代には、言論の自由は制限され、メディアも監視されていました。しかし、民主化時代のインドネシアでは、百家争鳴のメディアのなかで、ソーシャル・メディアを政府が監視することはもはや困難である、という前提が成り立ってしまっているようにも見えます。

インドネシアでは、まだまだインターネットを介したソーシャル・メディアが発展を遂げていくことでしょう。とするならば、人々がソーシャル・メディアを活用していくうえでは、そこに流れる多種多様な情報に対する個々人の取捨選択能力が問われてくることになります。そこに民主化を成熟させる鍵が潜んでいると思われます。もっとも、それはインドネシアに限った話ではないのかもしれません。

松井 和久 氏

松井グローカル 代表

1962年生まれ。一橋大学 社会学部卒業、インドネシア大学大学院修士課程修了(経済学)。1985年~2008年までアジア経済研究所(現ジェトロ・アジア経済研究所)にてインドネシア地域研究を担当。その前後、JICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)やJETRO専門家(インドネシア商工会議所アドバイザー)としてインドネシアで勤務。2012年7月からJACビジネスセンターのシニアアドバイザー、2013年9月から同シニアアソシエイト。2013年4月からは、スラバヤを拠点に、中小企業庁の中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)も務めた。2015年4月以降は日本に拠点を移し、インドネシアとの間を行き来しながら活動中。