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人と空気とインターネット 人間とAIが結ぶべき「両界不二」の関係

IIJ.news Vol.192 February 2026

AIが急速に進化している今日、人間に残された役割とは何なのか?今回は「両界曼荼羅」を見た筆者の体験をもとに、AI時代に必要な“智慧”のあり方について考えてみたい。

執筆者プロフィール

IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務

浅羽 登志也

平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。

両界曼荼羅の意味するところ

京都の東寺にある立体曼荼羅を、先日初めて見に行ってきました。講堂の扉をくぐると、薄暗い空間の真ん中に、ぐるりと仏像が配置されています。正面中央の大日如来を菩薩や明王たちが取り囲み、それぞれがこちらを見ているような、見ていないような、不思議な視線を投げかけています。一体一体がそこに「いる」というよりも、全体としてひとつの大きく複雑な物語が立ち上がってくる――そんな印象を受けました。

これまで仏教に関して何の勉強も修行もしてこなかった筆者は、ただなんとなく「すごいなぁ」と感じただけでしたが、いったい何が表現されているのか、興味を惹かれ少し調べてみる気になりました。

中央の大日如来が両手で結んでいるのは「智拳印」という印相です。このことから、この立体曼荼羅が金剛界曼荼羅を表していることがわかります。空海が遣唐使として渡った唐の国から持ち帰った2つの曼荼羅は、「胎蔵界」と「金剛界」の「両界曼荼羅」と呼ばれるものです。簡潔に言うと、胎蔵界が中心にいる大日如来の「理」や「慈悲」を表し、金剛界が大日如来の「智」や「智慧」、あるいは「方便」を表すとされています。胎蔵界が森羅万象を包み込む根本原則であり、あらゆる生命や現象を生み出す「豊かな母胎」だとすれば、金剛界はその世界を支える「堅固な智慧や構造」の世界と説明できるでしょう。そして、両界は「両部不二」と呼ばれ、本来はひとつの真理の表裏であり、相互補完的に密教の宇宙観を示すとされています。

これを現代風にわかりやすく言うなら、胎蔵界は世界を構成する情報やそれらの関係についての知識を表現したもの、そして金剛界はそれらの情報や知識を活用するための智慧を示したもの、となるでしょう。

この2つの曼荼羅の違いを端的に表現しているのが、それぞれの中央に描かれた大日如来が両手で結んでいる印相です。胎蔵界曼荼羅の大日如来は「法界定印」という、腹前で両手を重ねて手のひらを上に向けた印相で、胎蔵界の「無限の慈悲」や「理の世界」を象徴し、母胎のように衆生を包み込む様子を表しているとされます。一方、金剛界曼荼羅の大日如来は「智拳印」という、胸の前で直立した左手の人差し指を右手で握り包む印相を結んでいます。これは、仏の「智慧」(智)が衆生(人間)の「煩悩」を滅し、ひとつになって悟り(菩提)へと導くことを意味しているそうです。

仏教の創始者、釈尊(仏陀)の悟りの核心は「縁起」であるとされています。縁起とは、すべての物事は独立して存在しているのではなく、他のさまざまな原因や条件が相互に関係し合って成り立っている(つまり「縁」)という真理(理法)を指します。例えば、「自分は何者か?」と考えてみた時、「自分」を直接指し示す言葉がなかなか出てこないことに気づきます。「どこで生まれた」「どんな家族だった」「何を学んだ」「誰と働いた」「どんな酒や音楽が好きか」など、他のモノ・コト・ヒトといった周りとの「関係」を列挙していくしかないのです。つまり、自分とは、世界を構成するあらゆるものとの関係性の多様な網が集まっている中心に、一時的に立ち上がる結節点にすぎない、ということになります。SNSや仕事の人間関係、趣味のコミュニティなど、複数のネットワークにまたがって自分というものが立ち上がっている――これが「縁起」の考え方であり、「空」という思想でもあるのです。

すると人が「良く生きる」ためには、この関係性のネットワークを十分に理解したうえで、そのなかでどのように振る舞っていけばいいのか、しっかり考える必要があるわけです。そして、ざっくり言うと、両界曼荼羅はこのことを表現している、と言えるでしょう。

胎蔵界AIと金剛界AI

ところで最近、目まぐるしく進歩している生成AI、とくに大規模言語モデル(LLM)を特徴づけている「トランスフォーマー」という仕組みは、これまたざっくり言えば、膨大な文章のサンプルを学習して、「ある単語列の次に来そうな単語は何か」という出現確率を計算して得たものを世界モデルとして内部に構成し、その確率に従って単語をひとつずつ連ねていくことで文章を生成し、まとまった概念として表現する装置です。ネット上で公開されているあらゆる情報を取り込み、学習量を膨大に増やしていくと、ある規模を超えたところで、突然、それまで意味不明だった文章の羅列を超えた、かなり知的な応答が出てくるようになった、というのです。

つまりLLMとは「人間が書き残してきた言葉の世界」の縁起の網を「重み」と「行列」のかたちで内側に抱え込んでいる存在だと言えます。すなわちこれは、言葉の関係性のネットワークを構成することで得た一種の「胎蔵界曼荼羅」のようなものではないでしょうか?胎蔵界曼荼羅は、あらゆる可能性を内に宿した宇宙の母胎を表すものだとされていますが、LLMもまた、世界中のテキストの共起関係を潜在空間として孕んだ「言語宇宙の母胎」のようなものだからです。

一方、AIにはもうひとつ別の側面があります。目的や制約が与えられ、それを達成するためにツールを呼び出し、手順を組み立て、実世界のシステムに働きかけていくタイプのAIです。例えば、ネットワーク運用や業務プロセスの自動化などを司る「自律エージェント」と呼ばれるものがこれにあたるでしょう。こちらは、どちらかと言えば「どう世界に働きかけるか」「どこで線を引き、どこで決断を下すか」という智慧の側面が強いので、密教で言えば、金剛界が担っている役割に近いと感じます。そこで筆者は、前者を「胎蔵界AI」、後者を「金剛界AI」と呼んでみてはどうかと思いました。

どちらか一方があれば十分かというと、そうではなさそうです。胎蔵界AIだけでは「それも面白いですね」「いろいろな可能性がありますね」で終わってしまい、責任ある一手を選ぶところまでは踏み込めません。また、金剛界AIだけを強く育てると、今度は「そもそもその目的で良いのか」「長期的に見て何か悪い影響を残さないだろうか」といった文脈への感度が低くなり、うまくやっているようで危うい存在になってしまいます。

空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅が、胎蔵界と金剛界という2つの宇宙を“対”で示しているように、AIもまた、世界理解と行為決定という2つのレイヤにもとづいて意識的にデザインする必要があるのではないでしょうか。そう考えたとき、仮にLLMが胎蔵界のように世界の縁起の網を内に孕むものであるなら、その縁起の世界からどこに線を引き、どの判断に責任を持つのかは、やはり人間の側に残されるべき役割なのではないかと気づきました。金剛界とは、本来「行為を選び取る智慧」を体現する領域だったからです。

AIが胎蔵界を担って、人間が金剛界を担う。そして両者が問答を重ねながら、より良い世界のあり方を描いていく――その往復こそが、AI時代における新たな「両界不二」なのではないでしょうか。「智拳印」を結ぶのはちょっとむずかしいですが、AIの成長に備えて、しっかり修行を積んでおこうと思います。


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