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IIJ.news Vol.191 December 2025

今まさに起きつつある新たな社会の出現を前に、
我々は、生成AIに関する基本思想を整えておくべきではないか?
今回は哲学的なアプローチを試みてみたい。

IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務
浅羽 登志也
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
ここ数年の生成AIの進歩には凄まじいものがあります。もう「Chat君」などと気楽に呼べるレベルを超えてしまいました。これまで膨大な時間を費やしていたさまざまな調査や企画作りなどは、生成AIをうまく活用すれば、あっという間に出来上がってしまいます。「AIが人間の知的能力を拡張することで、我々を労働から解放し、自由を与えてくれる」――そんな夢物語が、今や現実になりつつあるようです。
ただ、無邪気に生成AIを使い続けることにはリスクもともないます。企業の機密情報が生成AIへの入力を通じて外部に漏れてしまったり、AIの間違った回答を十分に検証しないまま意思決定に使ってしまったり……。AIが便利さと自由をもたらしてくれる一方、正しさの保証や機密情報の保持に対する考慮など、新たな支配や依存の構造を生み出しつつあるように感じています。
この状況をどう理解すればいいでしょうか? 筆者は、思想家・柄谷行人が提示した「交換様式」という社会分析の枠組みが、AI社会の今後を読み解くうえで重要な示唆を与えてくれると考えています。
柄谷の交換様式論は、カール・マルクスの経済構造論を批判的に継承しつつ、その限界を超えようとしたものです。マルクスは資本主義の発展がもたらす矛盾を分析し、その止揚として共産主義社会を構想しました。しかし、20世紀の現実が示したのは、理想の「無階級社会」ではなく、国家への極端な権力の集中と官僚的統制、すなわち新たな強権的「国家体制」の出現でした。
その背景には、シャルル・フーリエやサン=シモンらが描いた「空想的社会主義」の失敗がありました。彼らは、人々が自発的に協力しあう理想の共同体精神を社会全体に拡張しようとしたのですが、自由と自発性に依拠しすぎたために、秩序と調整の仕組みを欠き、やがて崩壊していきました。人間が他者と生きる場を「理想的な状態として設計・制御しようとする」こと自体が、共同性を破壊してしまうのです。
柄谷はこれらの失敗を踏まえたうえで、「交換」に着目し、人間社会の関係のあり方を次の4つに整理します。
人類の歴史は、しばしば封建領主や国家による様式Bと市場による様式Cの相互補完で進んできました。秩序をもたらすBは硬直を招き、効率を生むCは格差を拡大します。例えば、インターネットの発展史を振り返ると、まさにこの構図が当てはまります。
インターネットは当初、中央集権的な権力や資本から自由な「サイバースペース」として構想されました。誰もが情報を共有し、対等に発言できる世界――初期のインターネットで我々はまさにAからDを夢想しました。
ところが、利用者と情報量が爆発的に増えるにつれ、混乱と無秩序が生じ、人々は「秩序」と「利便性」を求めてB(国家による統制)とC(巨大プラットフォームによる効率)の論理へ傾き、その結果、GoogleやMetaといった少数の企業が情報の流通を支配し、国家は監視や規制を強めていきました。自由な相互接続の理想は、結局BとCの力に回収されたのです。AIもまた、この道を辿る危険があります。
一方、DはA(互酬)への単純な回帰ではありません。Aだけでは統治も安全も保てず、無秩序に陥ってしまいます。Dは、Aの精神――互酬や連帯の感覚――を保ちながら、BとCが提供してきた秩序や効率を分散的な調整と検証によって置き換えることを意味します。柄谷はこれをAの「高次元での回帰」と呼びます。言い換えれば、中心のない協働、しかし無秩序ではない人間社会の関係性を、多声的な調和として制度化しようという構想です。筆者は、AIの設計思想にもDの視点を導入することが不可欠だと考えています。
今日のAIは、放置すればCの論理(収益最大化)に吸い寄せられ、巨大プラットフォームがデータとモデルを囲い込みます。国家はBの論理(安全保障・統制)でAIを運用し、監視・検閲・規制の回路に組み込みます。Aに退避すれば「誰も責任を持たない自由」に陥り、誤情報や攻撃が横行し、社会は崩壊にむかうでしょう。
AでもBでもCでも、AIによる人類の自由という理想には近づけません。したがって、AIをDの次元――分散(多様性)+調整(合意形成)+検証(透明性)――で再設計する必要があります。
第1に、単一AI依存を避けることです。ひとつの万能AIが「知の塔」になると、判断は不透明化し、社会はその判断に従属します。
第2に、多声的なAIの並立を確保することです。倫理・学習データ・推論スタイルが異なる複数のAIをあえて用いて、相互に比較・対照・反駁することを可能にします。
第3に、指揮権は利用者側に置くことです。AI同士を束ねる調整層が存在しても、その裁量と最終判断は利用者が握る。これら3点が、AIにおけるDの必要条件だと考えます。
この考え方を具体化するものとして、筆者は「オーケストレータAI」を提案したいと思います。これは単体の「強いAI」ではなく、複数の外部AIを並列的に参照し、結果を比較・統合・検証して提示するメタ層です。
各企業や組織は、自分たちの価値観や知識体系を反映した自組織専用の「オーケストレータAI」を“育てる”ことで、AI利用の主権を内部に取り戻します。これにより、AIは国家や資本の論理に一方的に回収されにくくなります。外部AIの価値を否定せず、自律した内部知性(オーケストレータ)が取捨選択して検証し、必要な時にだけ参照する。結果として、Aの創造性、Bの秩序、Cの効率を、Dの枠組み(分散調整と検証)のもとで高次元に再配置できるのではないか、という仮説です。
交換様式Dは、理念ではなく設計として求められています。マルクスが描いた「生産関係の革命」でもなく、フーリエらが夢見た「理想共同体」でもなく、現実の社会構造のなかで自律的に更新され続ける制度的知の装置です。
AIが国家と資本の力学に取り込まれないためには、Aへの素朴な回帰では足りず、B/Cの装置を分散調整と検証に置き換える制度が必要です。「オーケストレータAI」は、その制度を技術として実装する社会装置なのです。
AIは“誰のために、どのような手続きで、いかに検証可能に”働くのか? 答えは単純ではありませんが、少なくとも「指揮権は社会に残す」――そのための具体的な枠組みを、今から設計していくべきだと考えています。
イラスト/末房志野
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