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パラアスリート 笹島貴明のROAD to PARIS 根拠なき自信で始まった車いすフェンシング競技人生

IIJ.news Vol.172 October 2022

執筆者プロフィール

IIJ 広報部

笹島 貴明

2013年にIIJに入社したのち、スノーボード中の事故で車椅子の生活に。個人系サービス「IIJmio」等のデータ分析をしながら、趣味で始めた車いすフェンシングで日本代表となり、現在は競技活動を中心に広報部で働いています。

前回は休暇中のケガで車椅子生活になり社会復帰した直後、軽い気持ちで車いすフェンシングを始めたところ、テレビ取材で調子に乗って「パラリンピックを目指します」と言ってしまい、競技人生がスタートしたというお話でした。

崇高な目標を掲げたものの、ケガから復職したばかりで、IIJでの仕事は通常通りあるため、練習は土日が中心になります。そして当時、車いすフェンシング協会および練習拠点は京都市にあったため、毎週末、京都に通うという日々になりました。京都には勧誘の際、私を天才と(無責任に?)褒め称えてくれた監督とシドニーとアテネで金メダルを獲得した香港人ヘッドコーチの2人体制が敷かれており、妙に充実した環境のおかげで、なんとなく強くなっている実感がありました。今思うと、グアムとかに旅行しただけで英語が上達した感覚と同じです。

そして競技開始から約1年後の2016年冬、立位で実施する通常のフェンシングと同時開催の全日本選手権大会で第3位になりました。参加人数は4人なのでまったく大した戦績ではありませんが、世間的には日本で3番目に強いという称号も得たことで、どんどん増長していくのでした(笑)。

さて、国内の競技人数が非常に少ないので次のステップはいきなり国際大会です。競技開始からわずか2年で、日本代表の腕章をつけて、初の国際大会に臨むのでした。(続く)

東京パラリンピック普及イベントにも多数出演し、
日本代表の自覚が出てきた笹島(2016年9月)


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