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社長対談 人となり ソニーグループ株式会社 代表執行役 会長 兼 社長 CEO 吉田 憲一郎 氏

IIJ.news Vol.165 August 2021

各界を代表するリーダーにご登場いただき、その豊かな知見をうかがう特別対談“人となり”。
第20回のゲストには、ソニーグループ株式会社 代表執行役 会長 兼 社長 CEOの吉田憲一郎氏をお招きしました。

ソニーグループ会社

代表執行役 会長 兼 社長 CEO

吉田 憲一郎氏

1959年、熊本県生まれ。83年、ソニー入社。社長室 室長を経て、2000年、ソニーコミュニケーションネットワーク(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)に出向し、01年、同社 執行役員に就任。05年、同社 社長。13年、ソニー EVP CSO 兼 デピュティ CFOを務め、18年、社長 兼CEOに就任。20年、会長 兼 社長 CEO。21年4月、ソニー(株)からソニーグループ(株)に社名変更。同社 代表執行役 会長 兼 社長 CEO(現職)。

株式会社インターネットイニシアティブ

代表取締役社長

勝 栄二郎

自由な意見交換の場が重要

勝:
本日、対談させていただくこの場所は、社員の個性を大切にするソニーさんらしい素晴らしい空間ですね。
吉田:
ありがとうございます。当社は、パーパス(Purpose:存在意義)として「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」という言葉を、そして、その表裏の関係にあるアイデンティティとして「テクノロジーに裏打ちされたクリエイティブエンタテインメントカンパニー」を掲げています。
今はコロナ禍でテレワークが中心ですが、クリエイティブな事業を行なうためには、社員が同じ空間を共有することが大切だと考えており、このような部屋を活用しています。
勝:
誰もが気兼ねなく会話できる「雑談」は、イノベーションや開発のちょっとしたヒントになる場合もあり、大事ですよね。
吉田:
おっしゃる通りです。オンラインでのコミュニケーションはどうしてもアジェンダに縛られがちで雑談はしにくくなりますので、自由な意見交換の「場」がより重要になってくると思います。

病弱だった幼少期

勝:
吉田社長は、どのような幼少期を過ごされたのですか?
吉田:
生まれは熊本で、幼い頃はひどい喘息持ちでした。昔を知っている人からは「よく元気になったね」と言われるほどです。夏休みも、外で活発に遊ぶというよりは、児童文学全集を読んでいるような子どもでした。
勝:
良くなられたのはいつ頃ですか?
吉田:
高校生くらいです。
勝:
思い出や印象に残っている子ども時代の出来事などはありますか?
吉田:
父が裁判官で、九州管内の地方都市を回っていましたので、三つの小学校、二つの中学校、二つの高校に通いました。高校は入学が福岡高校で、卒業したのは鹿児島の鶴丸高校です。
勝社長と違って、実は、大学入学まで九州を出たことがありませんでした。ですから、これといって劇的な出来事や記憶はないですね(笑)。

息子と過ごす週末

勝:
たいへんご多忙な毎日だと思いますが、週末はどのように過ごされていますか? ご趣味などはありますか?
吉田:
個人的な話になりますが、私の息子が自閉症でして、週末の一日は必ず彼と過ごすようにしています。たいていはどこかまで車で行って、そこからさらに電車に乗って遠出したり、歩くことが好きなので、一緒に散歩したりします。普段は妻に負担をかけていることもあり、週末は私が時間をつくるようにしています。
勝:
そうですか。いろいろご苦労も多いのではないですか?
吉田:
世間的な理解を得るのが、なかなかむずかしい部分はありますね。幼かった頃は、周りの目が気になったこともありました。
そういう思いもあり、私自身、自閉症の子どもたちに関する啓発活動に積極的に携わるようにしています。毎年4月2日が国際連合が定めた「世界自閉症啓発デー」でして、東京タワーでイベントが開かれています。今年はオンラインでの開催でしたが、私もよく参加していますし、安倍(晋三)前首相がいらしたこともあるのですよ。
勝:
そうですか。今後、社会の理解が進むといいですね。

四年間のアメリカ勤務

勝:
就職に際してソニーを選ばれたのはどうしてですか?
吉田:
1983年に大学を卒業しましたが、周囲の学生は官僚や銀行員になる人が多いなか、私は、最初からメーカー志望でした。創業者である盛田(昭夫)さんや井深(大)さんに憧れてソニーを選びましたと言いたいところですが、内定をもらった会社のなかでソニーの印象がいちばん良かったということです。
勝:
入社後、アメリカで勤務されたそうですね。
吉田:
秋葉原の販売会社に2年いて、1990年から4年弱、アメリカで働きました。おもな仕事はIRでした。1989年にソニーが米国コロンビア・ピクチャーズを買収したので、その残務などもやりました。
アメリカでの生活は、ひと言でいうと、とても楽しかったです。1年に100回くらいは飛行機に乗っていましたから、アメリカとカナダはほぼ回りました。赴任先のニューヨークの同僚はニュージャージー州に住む人が多かったのですが、私はまだ子どももいなかったので、少し無理をしてマンハッタンに住んでいました。家賃が高かったので、さすがに車は持てなかったですけどね。

自分でキャリアを選択する

勝:
帰国されたあと、出井(伸之)さんが社長だった時に、社長室室長を務められました。
吉田:
1998年から2000年まで2年間やりました。IIJの鈴木幸一会長に初めてお目にかかったのもちょうどその頃で、出井さんを介してでした。
勝:
そうでしたか。出井さんを含め、さまざまな先輩と仕事をされて、影響を受けたりしましたか?
吉田:
アメリカでIRをやり、社長室の前は財務部にいたので、漠然とそういう領域で自分の将来のキャリアをイメージしていたのですが、出井さんのもとで働いて、「ビジネスをやってみたいな」と思うようになりました。それと同時に、ソニー本社から離れたほうがいいのでは……とも思い始めました。
勝:
それはどういうことですか?
吉田:
「ビジネスをやるために」ということです。当時、ソニーの主体であったエレクトロニクス関連の事業部にもし私が行っても、できることは限られているような気がしたのです。
そこで、グループ企業のなかから売上が250億円ほどだったソネット(現ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社)を探してきて、自分から「ソネットに行きたいです」と希望しました。
勝:
それまでのキャリアと違う方向へ進むのは、大きな決断だったのではないですか?
吉田:
自分では自然なことだと思っていましたが、周囲からは「何かあったの?」と不思議がられました。最近でも「吉田さんは、一度、ソネットに行かされたのに頑張ってるね」と言われることがありますが、決して行かされたわけではなく、自ら志願したのです(笑)。
勝:
ソネットでは、45歳で社長になられました。
吉田:
ソネットには13年間いて、2005年から9年間、社長を務めました。当時はソネットを独立させたいという思いが強かったので、2005年末には上場も果たしました。
勝:
会社を経営するということは、規模の大小に関係なく、貴重な経験だったのではないですか?
吉田:
おっしゃる通りです。社長になれたのは幸運な面もありましたが、決して楽な舵取りではなかったですね。ソネットではいろいろな経験をさせてもらいました。

ソニー復帰

勝:
その後、2013年末にソニーに復帰されましたが、吉田社長がソネットに在籍していたあいだに、ソニーは変化していましたか?
吉田:
13年経っていたので、もちろん変わっていた部分もありました。しかし復帰して、ソニーは人材に恵まれているな、と改めて認識しました。それともう一つ、やはりソニーの“ブランド力”は素晴らしいなと感じました。
勝:
ソニーに戻られたのは、ソネットでの仕事に一応、区切りがついたということだったのでしょうか?
吉田:
気持ちが揺れ動いた時期でもありました。2012年にソニーからソネットを完全子会社化したいという提案があり、その時はソネットの独立を保とうと、いろいろ動いてみたのですが、なかなかうまくいかず、結局、2013年にソネットは再びソニーの完全子会社となりました。
このような経緯もあり、個人的には、その後ソニーに戻れるとは思っていませんでした。ただ、ソニーの社長だった平井(一夫)さんとは定期的に話すようになり、私なりにソニーについて率直な意見などを述べたりするなかで、2013年の秋に「十時(裕樹氏・現ソニーグループ副社長兼CFO)と一緒にソニーに戻ってきてくれないか」という話をもらいました。
その時はもう「ソニーから独立したい」という気持ちから、「これまで世話になったので、恩返ししないと」という気持ちに変わっていました。また、復帰に際して用意されたポストが「CSO(チーフ・ストラテジー・オフィサー)兼デピュティCFO」というもので、やり甲斐がありそうだったので、ソニーに戻ることにしました。
勝:
そういった経緯があったのですね。
吉田:
勝社長と初めてお会いしたのは、たしか私がソニーに復帰したばかりの2013年12月だったと思います。

グローバル・カンパニーとしての多様性

勝:
ソニーと言えば、日本でも有数のグローバル・カンパニーですが、そのブランド力を維持できている秘訣は何ですか?
吉田:
事業の「多様性」に助けられている部分は、かなりあると思います。例えば、リーマンショック後の六年間(2009年度から2014年度)を累計すると、ソニーの営業利益の約200パーセントを金融事業が占めており、その時期は金融事業に支えられていました。これは私の勝手な想像になりますが、あの頃、もし金融事業による下支えがなければ、目下、好調を維持しているエンタテインメント事業を手放さなければならなくなっていたかもしれません。
今、ソニーグループは六つの事業セグメントから構成されています。「ゲーム&ネットワークサービス」、「音楽」、「映画」、「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション」、「イメージング&センシング・ソリューション」、「金融」ですが、前者の三つの本拠は(音楽事業の一部を除いて)アメリカにあり、後者の三つは日本にあります。これらアメリカに本拠を置く三つのセグメントが、グローバル・カンパニーとしてのソニーを特徴づけている部分も大きいと思います。
勝:
ビジネス面の多様性に加えて、ソニー出身の人材には、起業を志すような優秀かつ多彩な人が多いですね。
吉田:
人の性として「自立したい」という思いは、誰にでもあるのではないでしょうか。ソニーを辞めて起業した人たちと今でも会ったりしますが、彼らから学ぶことはたくさんあります。
勝:
多様性は大事ですね。
吉田:
はい。そこをソニーの強みにしていきたいです。

社員の心に響くメッセージ

勝:
経営者として、普段から意識している点や心がけていることなどはありますか?
吉田:
三つあります。まずは、パーパスやビジョンなど、大きな「方向性」を明示することです。これは、企業文化のベースになるもので、社員が共感できるものにする必要があります。
二つ目は「決めるべきことを決めるべきタイミングで決めて、その責任を負う」ということです。実は、ソニーに復帰した時、気になったことがありました。あらゆる案件が私のところにあがってくるのです、「決めてください」と。それに対しては、できる限り「あなたが自分で決めて責任をとりなさい」と突き返すようにしました。そこはずいぶん苦労して、変えようとした点です。
大きな組織になればなるほど、どんどん意思決定の権限をおろしていって、複数のレイヤーで物事を決めていくようにすべきですし、そのほうが動きも速く、間違いも少ないはずです。ただし、最終的な責任をとるのは権限を委譲した上司なので、そこは明確にして、現場の人が安心して動けるようにする必要はあると考えています。
三つ目は「人事」です。やはり人事は重要なので、いろいろな人の意見を聞いて、慎重に決めるようにしています。
勝:
人事は、数年先の部下の成長なども考慮しながら決めるのですか?
吉田:
そうですね。あと、各人に課しているのは「後継者を育てなさい」ということです。当然ですが、将来、どんな事態が起こるかわからないので、常に後継者のことは考えておくようにと言っています。
ちなみに、現在のソニーの経営チーム、6つのセグメントのトップは、とても素晴らしい人材が揃っています。全員、2017年以降に就任したメンバーですが、パーパスに共感してくれていて、協働できる体制が整っています。この点に関して、私はたいへん恵まれていますし、ありがたいと感じています。
勝:
吉田社長の意図を社員と共有するために、何か具体的なことを行なっているのですか?
吉田:
「我々は何者か」を対外的に示すアイデンティティに対して、パーパスは「なぜ我々が存在するのか」を示す“社内的な約束事”という側面もあるので、機会を見つけては繰り返すようにしています。
また先日、経営方針説明会を行ない、パーパスを軸に話しましたが、これは私にとってパーパスで経営方針を語れるかというチャレンジでもありました。そこには、パーパスが単なるスローガンになっていないかという検証の意味も込められています。
今、世界の人口は80億人ですが、我々が直接感動を届けられる人を10億人まで増やそう! というビジョンを出したところ、社内からも多くの反響がありました。改めて自分の言葉でメッセージを出すことは重要だと思うと同時に、ビジョンがより明快なほうが、社員の心にも響くのだなと実感しました。
勝:
なるほど、たいへん参考になります。
吉田:
私から勝社長に質問してもよろしいですか?
勝:
もちろんです。
吉田:
大蔵省・財務省に長くお勤めになられて、財務事務次官という重責も担われましたが、振り返ってみて、もっとも重要だったと感じる、あるいは達成感のある仕事は何ですか?
勝:
いくつかありますが、一つ挙げるなら、消費税の増税です。これは私が次官だった2012年民主党が与党で自民党は野党でしたが、民主党・自民党・公明党の「三党合意」(社会保障と税の一体改革に関する合意)で決まりました。
実は、消費税を上げることになった発端は、そこからさらに十数年前に遡ります。1997年から98年にかけて、北海道拓殖銀行、山一証券、長銀(日本長期信用銀行)、日債銀(日本債券信用銀行)が相次いで破綻して、日本に金融不安が起こりました。そこで、金融秩序や経済の立て直しが急務となりました。それが一段落したところで、急激に悪化した財政の健全性を取り戻すために、まずは歳出を削減したうえで、それだけではどうしても賄いきれない分を消費税で補おうという計画を組織一体となって立て、長い時間をかけて進めてきたのでした。
吉田:
非常に周到な準備にもとづいた施策だったのですね。

若い世代へのメッセージ

勝:
最後に、次の世代を担う若者にメッセージをいただけますか。
吉田:
率直に言って、若い人から学ぶことのほうが多いと思っています。例えば、ある女性社員と話していると、「子どもを産んで、環境のことを真剣に考えるようになった」と言うのです。それを聞いた時、環境に関する感度・緊迫感は、我々より若い人のほうがずっと高いし、視点もはるか先を見据えていると感じました。環境問題は、彼女にとって非常に切実なのです。ですから、若い人ともコミュニケートしていないと、いろいろな判断を間違う危険性があるな、と思っています。
勝:
なるほど。
吉田:
あえて若い人にメッセージを贈るとすれば、私は40歳になった時、初めて自分のキャリアを自分で決めました。それが遅かったのか早かったのかは人それぞれですが、最終的には、自分のキャリアは自分で築いていってほしいです。
勝:
素晴らしいメッセージですね。本日はたいへんお忙しいなか、ありがとうございました。
吉田:
こちらこそ、勝社長のお話もうかがえて、たいへん参考になりました。ありがとうございました。


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