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東日本大震災から10年。
あの日インターネットに起きたことを振り返る。

2011年3月11日の東日本大震災では、あらゆるインフラが甚大な被害を受けましたが、インターネットも例外ではありませんでした。あの日、インターネットには何が起き、いかに復旧・再構築が進められてきたのか。あれから10年が経過した今、IIJ基盤エンジニアリング本部の小林努さん、ネットワーククラウド本部の淺野善男さんに振り返っていただきました。

あの日、インターネットに起きていたこと

左:小林さん、右:淺野さん

マグニチュード9.0の大地震が発生した時、何をされていましたか。

淺野:私は社内にいましたが、揺れを感じた約1分後から社内システムの障害通知連絡が次々と鳴り出し、ただ事ではないと感じました。

小林:私は、秋葉原のホールで開催されていた会合に参加していました。
地震の揺れが徐々に強まり、ホール天井に設置されたスピーカーが落ちてくるのではないかと思うくらい大きな揺れとなりました。この揺れはどこまで大きくなり、いつまで続くのだろうと不安が増していったことを覚えています。2011年はまだ携帯電話もガラケーが主流で、どこでなにが起こっているのか正確な災害情報をすぐに得ることが難しく、外出先ということもあり自社のバックボーンネットワークの被害状況、インターネットの現状も把握できずにいました。

そして地震の揺れが落ち着いてきたところで、ふとガラケーにワンセグ機能がついていることを思い出し、それを使ってTVを観ると、関東地方ではなく、東北地方を中心とした大規模な地震であったこと、津波の発生が予想されることを知り、東京でこの揺れならば、震源地の通信網はかなり大きな被害を受けているのではないかと、青ざめました。

暫くすると、ホールの入ったビルに亀裂等の大きな問題がないことが確認され、外に出ることが許されました。大通りであれば大きな危険もなく、なんとか移動できそうな状況であったため、ひとまず当時神保町にあったIIJの本社へ歩いて戻りました。

「バックボーンネットワーク」とは何ですか。

IIJバックボーンマップ

淺野:IIJのようなISP(インターネットサービスプロバイダー)は、国内外にインターネット回線の基幹となる拠点をいくつも持っています。
その拠点間をつないだネットワークをバックボーンネットワークと呼び、各拠点に集約されたインターネット上のデータは、有線ケーブルを伝って次の拠点、次の拠点へとリレー式に高速で運ばれます。

そして地震発生時は、その一部が被害を受けました。

被害状況と、障害対応への初動の様子を教えてください。

小林:国内の通信全体は機能していましたが、被災地である東北地方における通信ケーブルの一部が地中で切断され、一時的にネットワークの機能が低下した状態に陥っていました。
また、津波に飲まれた家とともに引き波が戻り、それによって日米回線の海底ケーブルの一部も断線しました。

インターネット専用施設間のデータの受け渡し方法

陸海の通信ケーブル

  • 陸続きの場合:地中に埋められたケーブルや、電信柱同士を結んだケーブル(電線) を利用
  • 海を挟む場合:海底に敷設または埋設されたケーブルを利用

いずれの場合も「有線」ケーブルを伝ってデータの受け渡しがされています。無線に比べ有線は、高速でデータが運べる/回線が安定する/大容量のデータが運べる/安価である など、さまざまな理由があるからです(参考:インターネット図鑑「インターネット回線を脅かす物理的な脅威」)。

小林:IIJのバックボーンネットワークおよび拠点設備は、そもそも地震等の災害を想定して、電源、機器構成、回線ルートなど冗長構成*は取っていたものの、想定をはるかに上回る規模の地震により、仙台拠点との接続が一時的に途絶え、被災地への通信機能の提供ができない状態になっていました。

淺野:IIJではこの前年の2010年に、大規模な通信障害を想定し、バックボーンネットワークの稼働状況を迅速に営業社員へ周知するための社内システムを立ち上げ、各種訓練を実施していました。

しかし、自然災害を想定した訓練までは実施できておらず、また初めて体験する大規模震災下での外部環境の変化の速さと数々の「予想外」と対峙しながら、手探り状態で対応することが求められました。

地震発生後に実施した対応の時系列サマリ(2011.3.11)

対策本部の様子(2011.3.12)

小林:地震発生から約15時間30分後の翌12日午前6時過ぎ、バックボーン回線の復旧により仙台データセンターの孤立が解消し、インターネット接続サービスの提供を再開させることができました。

震災の前後で変化した「有事」の想定レベル

震災後、IIJの体制に変化はありましたか。

淺野:そもそもどの分野の社会インフラであっても、必ず「有事」を想定し、その対策が練られています。1990年代から始まった日本のインターネットも、地震や水害などが発生した場合でもサービスが途切れないよう、さまざまな体制が取られていました。しかし、東日本大震災という未曽有の災害を経験し、IIJのバックボーンネットワークも更なる構成の見直しが必要になりました。

想定される「影響範囲」の拡大

経路の冗長化

小林:震災前から、バックボーンネットワークの回線ルートは不測の事態に備え、経路の冗長構成*が取られています。

震災前は、山もしくは海の災害を想定し、山側/海側のルートを設け、一方の災害時に、他方のルートが使えるようにしていましたが、先の震災のように複数の都道府県にまたがる災害では、同時に被害を受ける可能性があることがわかり、できるだけお互いが離れたルートとなるよう、従来の冗長構成を改善しました。

東京エリア集中型の回避

小林:東北地方から以南へのルートも、従来は、大手町もしくは渋谷と、いずれも東京エリアを通るようになっていました。これは直下型の地震が起きても、東京の西側と東側で同時に被害が発生することはないだろうという考えからでした。しかし、実際にこれまでの想定よりも大規模な地震が起こったことで、山手線エリア集中型から、一部の設備を千葉県へ移すなど、より広範囲な構成が組まれることになりました。

変更後のIIJのバックボーンネットワーク構成

淺野:同様の考えのもと、日本全体のネットワーク構成を見直していくこととなりました。
まず、バックボーンネットワークの中枢機能はなるべく離れた地域で冗長化する。東京・大阪・名古屋での分散化構成です。

加えて、各拠点間のルートを、日本海側ルート、内陸ルート、太平洋側ルートなどのように、なるべく離して冗長化することで、いずれかのネットワークにトラブルが起きた際も、他方のルートが無事である確率を高めました。その考え方を海外拠点へのルートにも適用し、経由地を東京、大阪、名古屋で分散させ、更に海外へ出た後のルートも冗長化しています。

次に起こりうる「危機」への対応

淺野:繰り返しになりますが、インターネットにとって重要なことは「1つの地域に依存しない」ことだと考えています。いかなる場合でも1か所にアクセスが集中してしまえば、リスク回避は困難です。あらゆる想定に基づいた冗長化の設計を今後も続けていくことは大切だと考えています。

小林:東日本大震災当時、地震や津波の影響で多くの現地市町村のWebサイトがダウンしたり、アクセス集中により参照が困難になったりしました。そんな状況を目の当たりにし、IIJでは自社のクラウドサービスを使い、それら自治体のWebサイトのコピー(ミラーサイト)を開設。緊急時において情報伝達が途絶えることのないよう支援しました。

その後も毎年のように、豪雨や台風、地震など、日本各地がさまざまな大規模災害に見舞われています。2018年9月、北海道胆振東部地震によって引き起こされた北海道全域停電(ブラックアウト)など、初めて経験する災害に対しては、都度対策も再考しなくてはなりません。

東日本大震災から10年が経ち、スマートフォンなどの普及も進み、災害時の情報提供・収集はもちろん、平時においても電子決済をはじめ、生活に不可欠なインフラとして、インターネットの重要性は高まるばかりです。
IIJでは、安定したインターネット環境を提供するため、可能な限りあらゆる災害や事故を想定してデータセンター、ネットワーク、サーバ等のインフラ設備の設計を行い、維持・運用のノウハウを蓄積し続けていきたいと思います。

東京本社が被災地となる災害を想定した
対策本部(顧客サポートチーム)訓練の模様(関西支社にて)

  • (*)冗長構成:システムの一部に何らかの障害が発生した場合に備えて、障害発生後でもシステム全体の機能を維持できるよう、予備装置を平常時からバックアップとして維持・運用しておくこと。

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