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野蛮なままで

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 秋の長雨とはいっても、秋の気配がたってから、今年は青空を見る機会がないほど、雨雲に覆われた日が続く。偶(たま)に晴れた日があると、10月なのに、30度を超す暑さ。次々と台風に襲われる。「異常気象」という言葉も、今さらの感がして、季節の移ろいを消してしまう気候にも驚かなくなり、海水温度が上昇してサンマやイカの不漁が続くといったニュースにも反応しなくなってしまった。

 空調の効いたオフィスビルで働いていると、季節感が失われていく。暮らしそのものから四季の移り変わりの行事もほとんど消えてしまった。人間が生きていることが生きてきた記憶にあるとするなら、日本人は季節との関わりのなかで記憶を積み重ねてきたのだが、四季の移ろいが変わってしまうと、記憶と季節の関わりが希薄になってくる。過ぎ去った時の経過は、季節が移り変わる体感によって鮮烈な記憶となる。私にとって小学校に入学した時の記憶は、入学式ではなく、校庭の土に落ちた桜の花びらの光景である。

 10月の初め、来年入社予定の社員の内定式があった。男子は地味なスーツに白いワイシャツ、ストライプのネクタイ、女性は黒のスーツ。内定式は公式の会ということで、礼儀を重んじて、同じような服装になったようだ。20年以上も前になるが、初めて新卒を採用した頃は、内定式もなく、入社式だけがあって、新入社員に「なんでも質問していいよ」と言い、私が長々と答えていた。一応は入社式なのだから、少しはマトモな格好をしてきたらと、そんな時代だった。IIJという会社は、そんなカルチャーだと思っていた若者が、自分のやりたいことが好きにできる場として、研究室の延長といった気分で入社してきたのである。当時のIIJは、マトモに給料が払えるようになったばかりの時代で、オフィスにネクタイを締めて来るような社員はいなかった。そんな企業に礼を弁(わきま)えた人間が入社することもなかったのかも知れない。ところで、そもそも当時は入社式そのものがなかった気もする。記憶というのもいい加減なものだ。

 会社もそれなりの規模になって、毎年、100人以上の新卒が入社してくれるようになると、礼を知る若者が集まるのも当然で、創業当初の若者と違ってくるのは当たり前である。同じような服装だから没個性と感じるほうがおかしいのである。余計なこだわりを持たず、最低限、時と場を弁える程度の常識をもった若者が、将来を担う時代なのである。懇親会のパーティで話をすると、素直で元気のいい内定者ばかりで、ほっとする。

 企業における日本のIT化の進展は、欧米と比較すると、極めて慎重である。クラウド、IoT、ビッグデータ、AI、、、等々、将来のITの方向を決める言葉はすぐに流布するのだが、これらの言葉が変えようとする本質については、できる限り考えようとしていないというか、後退りしながら対処する、というのが一般的な対処法である。企業経営の基盤からその仕組みを変えようとするこうした流れに対しては、仕組みごと変える時に生じるさまざまな〈痛み〉に正面から取り組まないと難しいのだが、〈痛み〉についてはできる限り避けながら、といった体質が企業に染みついてしまっているようだ。

 ゼロからスタートして25年、礼を弁えない若者が集まって成長してきたIIJは、いまだ多くの日本企業が投資に慎重になっているのとは別に、ひたすら将来に向かっての開発投資だけが、IIJの成長を約束するのだという野蛮な精神を持ち続けている。素直で明るい内定者にも、そんなIIJのカルチャーを引き継いでほしいと思うのだが。


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