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桜は60年

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 冬の寒さが厳しく、春の訪れが遅れたせいか、今年は桜の開花が遅れ気味だった。新入社員の入社式があった4月1日も、桜はまだ八分咲きで、肌に触れる風は冷ややかな早春の風に近かった。平均的な桜の開花時期がいつなのか、あえて調べようとも思わないのだが、年ごとに異なるのは自然のことで、それは新入社員の気質が年ごとに違うようなものである。

 桜の樹の寿命というか、艶やかな花を咲かせるのは、60年と言われているようだ。もちろん品種によって違いはあるだろうが、典型的な染井吉野は60年程度だそうだ。上野を始め、東京の桜は、戦後間もない頃に植樹されたものが多く、そろそろ代替わりの時期になっている。激しい空襲で桜の名所が焼失し、廃墟になったのは、70年ほど前のことである。食うや食わずのあの時期に、まず桜の植樹を始めたというのは、本居宣長を持ち出すまでもなく、桜と日本人の心の在り様が深いところで結びついているからだと、大袈裟に考えずとも、桜のない春は日本人には考え難い。

 花を咲かせる精気が70年保たずに終わるというのは、高齢化が深刻な日本の社会を思い浮かべると、なんとなく寂しい気分になる。高齢者の衰え方も、昔とはずいぶん違って、矍鑠(かくしゃく)としている人が多いのだが、その根のところにある精気は、桜と同じように失われてしまっているのかもしれない。樹齢を重ねて、花を開かせない桜と似て、高齢者というのは、健康ではあっても、花を咲かすことのできない存在なのかもしれない。上野の地元の方々は、70年を過ぎて桜にしては巨木になった樹を、100年までは咲かせ続けるのだと、あらゆる手立てを尽くして一生懸命である。一方、植え替え用の苗木はどんどん育っているようで、そろそろ艶やかな花をつけようとしている。その苗木で花見をしたいと言ったら、「冷たいなあ」と、がっかりされてしまった。

 会社の定年は、延びたと言っても、60歳がひとつの目安となっている。大企業であれば、50歳前後から、その処遇について違った仕組みが用意されている。実質的に新陳代謝を早めようという動きは、ますます加速化しているらしい。

 新入社員の入社式で短い挨拶をした。毎年のことで、何年かに一度は同じ話をしているようだ。講演などあらゆる話について、何の用意もせずに、壇上に上がったその時の気分によって、話すことを決める私の怠惰きわまりない流儀だと、大方は脱線して、正確に言うと、いい加減な話で終わる。せっかくの入社式では、さすがに、花を咲かせる精気を失った高齢者の話を例に、若い時に思い切って花を開かせて欲しいとは話さなかった。

 同じように「通う」といっても、お金を払って教えを乞う学生という存在と、報酬をもらいながら働く社会人との違いは何かと言えば、あらゆる責任が自分という個人に閉じられている学生に対し、企業という社会的存在そのものの場では、責任範囲が個人で閉じず、社会という広がりのなかでの責任となる。そんな話をしたのだが、途中で何年か前にした話のような気がして、「まあ、あれこれ思い悩まず、企業という場は、思い切って自己実現をする場として、頑張ってください」と、尻切れトンボのような話で終わってしまった。それにしても、若い人が入社をしてくれるのは、年間の行事でもっとも嬉しい時である。

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