Global Reachグローバル展開する企業を支援

MENU

コラム|Column

やや出遅れた2004年までの携帯電話事情

携帯電話黎明期の頃の利用者の推移

中国のネットについて最近足を突っ込みはじめた人が、中国の現状からネット環境を知ることは案外難しい。

各種統計を並べてみれば、最新のデータによれば、スマートフォンユーザーは5億人(中国電子商務博覧会組織委員会)、モバイルインターネットユーザーは5億2700万人(CNNIC)、3Gユーザー加入者数は4億7959万(工業和信息化部) だという。なんだかものすごく大きな数字だ。この数字がさらに今後どれだけ化けるかについては、そこに至るまでの経緯を知ることで予想することができよう。そこで表題の通り、スマホ普及前夜から今に至るまでを紹介し、今後を予想したい。

中国には大きく、中国移動(China Mobile)、中国電信(China Telecom)、中国聯通(China Unicom)の3キャリアがある。上海であれば、その名はロゴはそのままに、上海移動、上海電信、上海聯通とも呼ばれる。現在は4Gサービスを3社とも4Gサービスをスタートしているが、加入者数2956万の中国移動が現状では優勢だ。

筆者はインターネットや携帯電話が普及し始める2002年より中国内陸の雲南省昆明を拠点にしているため、その当時の内陸省都人の感覚を書いていくと、2002年03年くらいは、端末も通信量もお手軽な中国版PHS「小霊通(シャオリントン)」の中国電信、値段の高い中国移動という印象であった。昆明の市内の徒歩圏にキャリアショップがあり、電話代をチャージできた。

中国のキャリアショップ

2000年代前半(00〜04年)に、GSM方式の携帯電話が普及し始め、携帯電話=中国移動のイメージは確固たるものとなる。前述の小霊通で参入した中国電信のほか、中国聯通もcdmaOneとGSMで携帯電話に参入していたが、「中国移動に比べればカバー範囲が狭い、繋がらない」というイメージがあったため必然的に「携帯電話を導入するならとりあえず中国移動」となる、中国移動のモバイルユーザー数は、中国電信や中国聯通のそれに大きく差をつける。

端末では、まだ白黒液晶のケータイが当たり前で、メーカーでは「ノキア」「サムスン」「モトローラ」「ソニーエリクソン」の4大メーカーがシェア争いをしていた。携帯電話はまだ気軽に買えるものではなく、普及率もそう高くはなかった。北京や上海から、雲南省の農村部に至るまで、街にはいたるところで、電話屋と長距離電話屋(IP電話屋と呼ばれていた)があり、ひっきりなしに人々が入っては電話をかけて連絡していた。その光景はまるでコールセンターのようだった。携帯電話はおろか家には固定電話も普及しておらず、今の30代以上の青春期には、電話がなかったため手紙で恋人と連絡を取り合っていた人もザラだ。

3Gの普及の遅れと、日本のガラケー人気

携帯電話だけに注目してチェックを行ったわけではないので、記憶はやや曖昧で申し訳ないのだが、筆者自身がカラー液晶の携帯電話について、中国マーケット記事で紹介したり、購入してレビューしているのが2000年代後半(05〜09年)からであることから考えるに、カラー液晶の携帯電話が身近な価格帯まで落ちてきたのは、2005年あたりではないかと思う。中国メーカーの製品はあったが、今とは比較にならないほど「安かろう悪かろう」であり、2004年には著名メーカーを含め多くのメーカーが一度撤退している。

ちなみに白黒液晶のストレートケータイからゆっくりと携帯電話が普及していくが、かたや2001年には先進国を中心に初代iPodが発売されている。iPodは日本では価格においても低価格でインパクトがあったが、中国では存在すらほとんど認識されていなかった。筆者自身の記事やメモをさかのぼると、2003年あたりで、iPodよりも安い様々なmp3プレーヤーが席巻し、iPodっぽい製品も登場している。ただiPod自体、ガラスのショーケースに入れられひっそりと売られていて、中国では知る人ぞ知る製品だったと記憶している。

話をもどそう。2005年あたりから、ハイエンドモデルでカラー液晶の携帯電話を多く見るようになった。スマートフォンでは、唯一HTCの前身の「dopod(多普達)」が、異色で高価なマニア向け製品として、各都市にあるマニア向けデジタル製品ショップでひっそりと売られていた。その余波で、中国移動をはじめとしたキャリアショップに一定の通話料金を払うだけで、白黒液晶のフィーチャーフォンを無料で入手できるキャンペーンをよく見るようになった。

やがてキャリアが展開するキャンペーンは、提携銀行に一定額の貯金をすると携帯端末がもらえるとか、携帯端末に加え食用油や中華鍋や自転車などがもらえるなど、消費者にはより魅力的なものになっていった。キャリアが台湾や香港からスター歌手を各都市に呼び大会場でコンサートを実施し、キャリア利用者には「数百元以上プリペイドチャージしたらA席、数千元以上チャージしたらS席」といったキャンペーンを行ったこともあった。

2007年から「山寨機」なるノンブランドケータイが登場し、2008年にブレイクする。山寨機は台湾「聯発科技(Mediatek)」がSOCをリリースしたことで商品が大量に出回ったが、ユーザー側からいえば、フィーチャーフォンと同様に音楽がきけて写真が撮れるとあって、ブランドを気にしない層を中心に普及していった。山寨機は数年間はGSMのみであったため、それも一因として3Gの普及が遅れた。

2008年に北京五輪をトリガーに、3G端末が登場する。最初にライセンスがおりたTD-SCDMA方式を採用する中国移動から、中国メーカーのフィーチャーフォンを中心に登場する。サムソンやフィリップスなどの外資系メーカーの製品もあるにはあったが、その端末ラインアップはあまりに魅力がなかった上に、GSMの頃からWAPコンテンツは不人気で、一部のマニアを除いて買い替えし、2Gから3Gに移ろうという動きはほとんど起きなかった。

むしろそのラインアップの不甲斐なさから、日本で独自に発達した”ガラケー”や世界の様々なメーカーの製品が利用できる、W-CDMA方式を採用する中国聯通に非常に注目が集まった。日本への贔屓を抜きにしても、まるで現在のiPhoneのように、日本のガラケーを持つことがステータスとなった時期があり、そのときには北京上海をはじめとした携帯電話ショップで、日本のガラケーが売られていた。中国でのニーズが高まった時期を同じくして、日本では端末が行方をくらますニュースがしばしば報じられた。

中国メーカーのスマートフォンの登場、そして4Gへ

短期間ではあったが確実にあった日本のガラケー人気を終わらせたのが2011年にブレイクしたスマートフォンだ。むしろ2011年にブレイクした、スマートフォンのキラーアプリとなったゲーム「Angry Birds」といえる。それまではAndroid搭載スマートフォンはマニア向け、iPhoneは金持ちのマニア向けだったが、これを機にスマートフォンが一気に普及していく。各キャリアショップやケータイショップには、AngryBirdsのキャラクターがアピールしていた。

2012年あたりまで「通に人気の中国聯通」「マスに認知度が高い中国移動」「ADSLとセットで安い中国電信」という状況だった。中国聯通は、2Gで圧倒的なシェアを得ていた中国移動に対し、3G市場において互角以上の戦いを見せた。ニーズに応えるようにフィーチャーフォン、スマートフォン問わず、W-CDMA(中国聯通)のデータ通信も使えてGSM(中国移動)での電話もできる3G端末が増えていった。CDMA 2000方式を採用した中国電信は、中国聯通が強気で目立っていたのとは対照的に、隠れてしまった感があった。

中国移動が3Gで中国聯通と張り合えるようになったのは、中国メーカーのスマートフォンがマスの市民に認知されたことに他ならない。Angry Birds人気によるスマートフォン普及がひと段落したころ、フィーチャーフォンでは当たり前にあった、キャリアによる低価格での端末提供が、スマートフォンにまで広がった。

昆明でのキャンペーンを振り返っていくと、最初は「3.5インチの比較的小さなディスプレイの中国メーカー製スマートフォン」からはじまり「4インチの中国メーカー製スマートフォン」「1GHz超えのCPU搭載の中国メーカー製スマートフォン」「4インチディスプレイの中国メーカー製スマートフォン」「Galaxy SやiPhoneも含むスマートフォン」「5インチディスプレイのスマートフォン」「4Gスマートフォン」といった具合に、製品のリリースから遅れて、徐々にマスのユーザーのスマートフォンの購入欲を沸かせる仕掛けを出していった。昆明だけでなく、中国の他地域でも、出すタイミングの差こそあれ、同様にマスのスマートフォンのスペックの底上げが行われていた。

この中で「レノボ」「ファーウェイ」「ZTE」「Coolpad」の中国スマートフォンメーカー4社が浮上する。誰もが買っていくうちに、口コミで「中国メーカーでも大丈夫」というのが実体験を伴って広く伝わっていく。さらに性能やコストパフォーマンスで訴える新興の中国メーカー「小米(Xiaomi)」「魅族(meizu)」「OPPO」などが台頭、デジタル製品マニアの間でも中国製スマートフォンは買う価値があるという認識を持たせた。

ユーザーの端末がリッチになっていく一方で、通信環境は3G回線の利用価格の高さから、家や社内のブロードバンド&無線LANでダウンロードし、移動時には中国移動の2Gを使うユーザーが多く、ユーザーの回線速度は足踏み状態だった。その状況が打開されるのは2013年のこと。その年に出た4Gの影響で、各キャリアは「いつもの利用料金で倍利用できる」キャンペーンを実施、実質的に利用料金を半額にした。

中国聯通、中国電信も4Gに参入し、
利用費用が安くなった

2014年夏、各キャリアは「5インチディスプレイのスマートフォンの特別価格での提供」「4Gスマートフォンの特別価格での提供」の次の弾として「4G利用半額キャンペーン」を実施している。マスを抱える中国移動がTD-LTE方式を採用し端末も揃い、通信量も安くなったとあって、4G利用者数は3Gで伸び悩んだのとは異なり、順調に増えていくのではないか。問題はその次のキャンペーンは何かということだ。おそらく大きくなった「iPhone6」を材料にするのではないか。そしてさらにその弾すら切れた近い将来に、現在普及がいまいちなタブレットをも対象にするのではないだろうか。

山谷 剛史

1976年東京都生まれ。中国アジアITジャーナリスト。
現地の情報を生々しく、日本人に読みやすくわかりやすくをモットーとし、中国やインドなどアジア諸国のIT事情をルポする。2002年より中国雲南省昆明を拠点とし、現地一般市民の状況を解説するIT記事や経済記事やトレンド記事を執筆講演。日本だけでなく中国の媒体でも多数記事を連載。